限りない明日へ
いろんな理屈をこねてみたところで結局あたしは吹奏楽を、と言っては語弊があるのなら音楽に費やしてきた時間を、愛しているのだと思います
あーあ
鼻の奥が、つん、と、するぜ
終わりなんて、見たくないよ
もっともっといろんなことや人を、大切にしてくればよかったなぁ
甘酸っぱい後悔は、いつだって、とても深いところからやってくる
みんなまとめて大好きなんだ
この想いを届ける機会はもうないんだ
愛すべき人たちは、いつでもとても近くにいて、だからこそ、見失ってしまう
そうして、本当の意味で失うときになって、初めて気付く
手を離す時になってやっと、手を繋いでいたことを知る
優しくあたたかく守られていたことがわかる
あたしたちはそれを繰り返して、その胸の痛みにも次第に慣れて、大人と呼ばれるようになる
大手を振って胸張って「青春ごっこ」をやるつもりはさらさらないけれどこの一瞬一瞬の積み重ねは振り返ってみたら青春としか呼び様のないものになっているんだろう
なんだかとても悔しいし切ないし、そのくせ幸せな夜です
音楽は、最終的には才能でやるものだ
でもそんなこと関係なしで、あたしたちには音楽を愛する権利があって、音楽に愛される権利があるんだよ
大学でも楽器を続けるかどうかはわからない
続けない可能性のほうがおっきい
でもね、だからと言って音楽に見放されるなんてことは絶対ないから
音楽を通した出会いとか、そういうのはずっと繋がっていくから
だから、何も悲観する必要なんてないのは、わかってるんだけど
同じメンバーで、同じ曲を、同じ舞台でできるのはいつだって一回切りで
今まで、できることはすべてやりきった!と断言できるような練習ができたことは一度もなくて
でもそんなの、5年間毎日100%の練習をするなんて無理だし、そもそも音楽に100%も何もあったものじゃないと思うし
あーもう!
最終的には、頑張ります、というところに、落ち着いてしまうんだ