触れたら最後とれてしまいそうだ
紛うことなく愚痴であります
あたしは社会科という教科が好きだ
(地理はできないけれど)
今、勉強しているのは日本史と世界史
どっちも面白い
先生の教え方、とか、将来役に立つか、とか、関係なく
教え方が下手だと思うなら受け方を変えればいい
自己流を確立したというのならテストでせめて平均くらいとってみれば?
来年選択するのもしないのも勝手だし、批判したいならすればいい
ただ時と場所を選んでよ
テスト前日の朝の教室だよ
何のためにあんたたち早くから学校来てんの?
そんな馬鹿3人のためにフラストレーション溜まりまくり
ウォークマンとお友達するしかない
ながら勉強はよくないのに…
自習のときもそう
うるさい!
それでも去年に比べたらいいんだけどね
ちょっと落ち着いた環境に慣れすぎてしまった
これが世間では普通なんだよ、と自分に言い聞かせる
このいらいらをなんとかしようと放課後図書室に行ったらあたしが朝自習室に行けない理由の張本人と会ってしまう
もうほんとやめてくれ
せっかくパートリーダーと話してちょっと浮上しかけたのに
「マヌ法典ができたのってグプタ超!?」と執拗に聞かれ
そんなの今どーでもいいわ、と思いつつ長引くのはわかっているのでとっとと資料集で調べる
「人に聞く方が記憶に残る」なんて抜かすので
「それが間違ってたらどうすんの」と問うと
「平均とるから、20人くらいに」と答えられ
あほらし、と思う
振り回された19人に同情する
でもあいつに20人も聞けるような友達いないよね、と気付く
結局自分が忘れたのを認めたくなくて調べ直す手間を省きたいだけじゃない
ばっっかみたい
知識とは自らの手で何度も何度も手繰り寄せてどうにか掌中におさめることができるもの、ではないのかしら
他人の夢を否定することはできることならしないでいたい
誰より否定されておかしくない夢を見ているのはあたしだ
いわゆる職種としての夢なんて持ってすらいない
だから堅実な夢を見る子たちは純粋に尊敬するし、そういう子たちにあたしがどうこう言うことは僻みにしか聞こえない、恐らく実際そうなんだろう
でもどう考えても向いていないとか現実を見ろよとか言いたくなってしまう時がある
最近それが少し多い
自分の夢が親の夢にすり替えられてそれに気付かないだなんてね
結局みんな、その程度なのだろう
わざわざ苦労や努力するものではないのだ
でも、本気でその夢を追いかけている人もいるんだよ
いい加減な覚悟が、もしくは偽物の覚悟がいつまで続くか見物だな
そのまま一生、幸せに過ごすのかも知れない
幸せな、からっぽな、人生
ただ他人に迷惑をかけるのだけはやめてほしいな
涙の蓄積がそのまま笑顔の価値を上げるだとか
辛い思いをした分だけ優しくなれるだとかの
素敵な経験をすることなく
死んでしまうのはあまりに淋しい
あたしが夢に夢を見すぎなだけかも、しれないけれど