響く救難信号深い心の片隅
所詮自分以外は他人なわけです
何を信じる、信じないは個人の理由だけれど、できるだけ信じていきたいのが理想だけれど、理想でしかないことを理解した上で、なお信じたいのなら強くなるしかないと思う
あたしは臆病だから、傷つきたくなくて、信じない、というか裏切られても仕方ないと考えている節がある
そういう行為に感じるのは疲労と脱力感と怒り、なんていう醜いものばかりだから
加害者側と変わらない顔に自分がなるなんていうのは馬鹿らしい
勿論あたしは聖人君子でも無我の境地に達して悟りを開いているわけでもないから、目標でしかないんだけどさ
理想は銀河系の彼方だが目標はまだ地球内部にありそうじゃない、なんとなく
ここまでは被害者側の意見
でも生きている限りこちらが加害者側になる可能性は否めない
これはあたしが生きている限り牛を殺し続けているしオゾン層を破壊し続けているのと同じ意味ね
故意かどうかは別にして、生きているその時点で可能性は0じゃない
良い可能性も、悪い可能性も
極論に走れば生まれてこないのが一番なんです
しかし、愛されてこの世に生を受けてしまったわけだから
生きてしまっているからには全力で生きるしかないよね!
どこでどういうタイミングで他人の地雷を踏んでしまうかはわからない、でもだいたい、予測はつくでしょう
その予測、をきちんと踏まえた発言をすることで、少しでも、その可能性を下げることはできるんじゃないかな
あたしの場合は、傷つけることでものすごく傷つくタイプの人間なので、自己擁護でしかないんだけれど、そういう根拠でも優しさというかたちで他人に還元されているのなら構わない
このへんってとても記憶と想像力がものを言う
自分がされて嫌だったことは他人にもしない、っていうのが社会生活の基本です
あ、じゃあ自分がされて嬉しいことは他人にもしてあげる、っていうのは安直すぎると思いますが(小さな親切大きなお世話!)
「生きてしまっている」「生かせてもらっている」なんていうのはキリスト教色の強い発言であまり好ましくは無いんだけど、でも、忘れはならないのはそういうところだよね
自分を全知全能の神だと思ってんなら糞食らえ
教壇が一段高くなってんのなんでか知ってますか
あれって教室内での隔離なんですよ
教師という職業が生徒がいて初めて成立するものである以上、教師は奴隷なんです
聖職ではあるのかもしれない、しかし殉教者は血肉まで主人=神に奉げなければならないんだ
そういう根拠に基づいて行動しなければならないんだ
涙を流す神を見て、何も思わない殉教者なんか失せ果てろ
「してあげてる」とか考えるようになったら最低
お前らは「させてもらってる」んだよ
まあ泣く権利があるのは努力したやつだけですけども
神は総じてプライドが高い(しかも脆い)
本気で腹くくってんのか、と今一度問いただしたい気分です
今は怒りとかどうとかいうよりも呆れ返っている状況
あたしはせんせいが大好きだけど、彼だって一教師なんだってことを常に忘れないようには、しています(ただ自分で書いておいて彼=殉教者、という図式にはものすごく納得がいく)
携帯のバッテリは3時間で切れちゃうみたいです、ごめんね
でも、あたしを選んでくれたこと、嬉しかったよ
またいっぱい話そうよ
まだまだ先は長いんです