空白

そこに描き出すしかないのだもの。

正直なざらざらの世界へ

7月後半から8月前半のつぶやきをまとめる。
疲れた…。言葉溢れすぎだろう。
そんなに特定の誰かと話したい欲求はないんだけれど、聞き耳を立ててくれている人がわかっている場で好き勝手つらつら喋っていろんな思考の破片を拾っていく作業がすきなので、たぶんついったというツールとわたしの思考の方式やスピードはすごく相性がいい。

知らない間にじゅげむの広告表示が45日になっていた。
長い文章は書いていないと書けなくなるとおもうのでこっちもがんばろう。がんばる。る。
卒論?なにそれおいしい?

7月あまりに怠惰に過ごしすぎてひどい鬱になったので(前回更新参照)、新しいバイトを探し、わたしの一日をたたき売りしたところ案外簡単に完売した上犬が病気になり(だいぶよくなったけれど)鬱になる暇もない理想的な8月を過ごせています。9月も大概予定が詰まっていて、性格も生活も中庸というのがないなわたしは!

マスコミ就活のセミナーで講師をしたのを皮切りに、母校の野球の試合を観に行ったり、元彼と同級生と3人で飲みに行ったり、せんせいとサシで飲んで緊張でたいへんなことになったり、神戸観光したり、親友とお茶したり、部活のOB会に顔出したり、鳥取行ったり、美術館を冷やかしたり、お祭り行ったり、友達とご飯食べたりお買い物したりしてたらあっという間の日々でした。
しかもその隙間に犬を病院に連れて行ったり、働いたりしているので(バイトの隙間にこれらの予定を入れているのかもしれないけれど)、そりゃ充実しているはずだ。
日々を悔いなく生きているので、いつ死んでもいいけれど、明日も会いたい人がいるので、まだ死ねない。

反動形成的にメンタルが身体に現れるやつはあんまり具合よくないんだけど生活に支障をきたすほどではないのでまあいいか。
結局わたしもじぶんでじぶんを傷つけたい人間で、でもわたしの中の何かがそれを押し留めて、それでも深層心理が無意識に表面化してしまうので仕方がない。
何が満たされないのかはわからないし、そもそも満たされないことが原因でもないのかもしれない。
わたしはわたしのままで生きていくしかない。
岡山はそれでも呼吸しやすい土地なんだよ。

ただ、まだ足りないので、来月は新潟に行く。
遠くに、行かなきゃ。
ほんとは香川にも行きたかったんだけれど行けて倉敷かなあ。
関西に行けるかはすごく微妙なところ。
新しく始めたバイトが繁忙期の土日はほぼ入ってしまうし、塾のほうも気づいたら週4になっていて、お金はないよりあったほうがいいので働くのだけど、わたしは奔放にしか生きられないので、その時々のじぶんの「したい」をどうしても優先してしまって、手帳の白いスペースは近場の予定でどんどん埋もれてゆく。
それでもほんとうにほしいものはきちんと握り締めているので、握りしめられないものはほんとうにほしいものではないのかもしれないなんて考える。
不穏な考えには途中で楔を打ってしまいましょう。
たとえば大好きな音楽なんかで。

楽器を吹くと、すべてがどうでもよくなる。
繋ぎ止めてくれるものが、ここにあった。
音楽がしたい、と切に思う。
いっそ病的に、バスクラリネットという楽器を愛していることを再確認する日々。
来年の2月10日に演奏会があるので、それまでは定期的に楽器を触ることができるとおもうととてもうれしい。
完全に鈍っているので、楽器を吹くための身体づくりをしなくちゃ。
そのためにも、来年からのためにも、一にも、ニにも、体力である。
余計な力を抜いて。自然体で。

さあ、わらおう。
がんばるよ。




どうせいつか終わる旅を僕と一緒に歌おう

【20120803 夢を追う】
ひとやものを軽蔑する言葉を、あまりに無意識に紡げることに、びっくりしてしまうんだよ。うつくしい声で、うつくしい言葉を。いつも心のすみに置いておく。
どす黒い感情に飲み込まれてよわっていた日々、繭のような愛情で包み込んで、癒えるのをすぐとなりで見守ってくれていたひとに、どんなにみにくい声で、みにくい言葉を浴びせていたんだろう。ごめんね、ありがとう。この気持ちも一緒に、忘れないよ。
自分が夢を追いかけている途中だったり、より大きな夢を叶えた後でも、他人の夢の実現を「すごいね、おめでとう」って純粋に祝福してくれるともだちばかりで、ほんとうにうれしいし、尊敬する。わたしもそうでありたい。


【20120812 美しい議論を求める】
議論には美しさが求められると思う、という後輩の問題提起。美しい議論は自ずと強い議論であるはずだ。
それは、一方向の努力では成り立たない。双方向の指向性が一致してはじめて到達し得る場所である点で、すごく芸術に近い要素を持つ気がする。与える側と、受けとる側が、真摯に向き合い、おなじ硬度、強度でぶつかるとき、とてもおおきな美へのエネルギーが生まれる。
噛み合わない議論は、それはそれはうつくしくないね。
わたしにとって美しい議論とは、噛み合っていること、論理的無矛盾性にそれぞれの主張が貫かれていることだから、決して単なる言葉遊びに終始してしまうことはないとおもう。その先に拓かれる境地に驚き目を瞠る、生産的な営み。
視野狭窄と思考停止は議論の美しさをいつだって妨げるけれど、ある程度の規律の中にないと完全に破綻してしまって、その駆け引きというかバランスの見極めがすごくおもしろい。
議論においても会話においても、コミュニケーションの場での美しさって本質的にはあんまり相違なくて、スピード感とフォーマットの違いだけな気がする。どちらもすごくすき。

対立や衝突は、実は止揚の契機なのだ。蕾を、花を、否定した先に、果実が結実する。
ああ、本気でぶつかり合っても、いちばん大切なものは壊さない、壊されないと信じることも、美しさの一翼を担っているのかもしれない。
いつだって、夏だった。下校時刻を大きく回った教室で、ああでもない、こうでもないと首を傾げたり、時には泣きそうなほど苦しかったり、それでも漸く探り当てた一筋の光明にはしゃいで、逃がさないよう握りしめて、でもそこには次の困難があって、その繰り返し。
歩いて、立ち止まって、足がもつれて、転んで、泥だらけになって、それでも、愚直に、進み続けて。蜩の鳴く声、夕立にけぶるアスファルト、淡い水色はいつしか深い夜の色へ。そんな時間を、確かに共有していた。

斬るか斬られるかの覚悟で言葉を紡げって、君にはそれができるって言ってくれたせんせいがいてね、。


【20120814 楽器を奏でる】
懐かしさの甘やかさの前にゆるやかに絶望した。
高校吹奏時代は注ぎ込んだものがおおすぎておおきすぎて、いつまで経っても適切な距離の置き方というのがよくわからない。不器用なかたちでしか笑えない。軽やかな姉であり続けたいだけなのになあ。
おもったより全然楽器は吹けたのでよかった!尊敬する先輩に「楽器買いなさい」って言ってもらえてうれしいやら悩ましいやらで、ほんとに楽器との相性が良いのだとおもう。
楽器が吹けたというただそれだけでこんなにしあわせなのに、どうしてこんなに近くに涙があるんだろう。
劇薬みたいにすこしずつ慣れて鈍磨させてすり減らしていくしか、ないんだよ。
たいせつなものに対する愛情深さはおそらくわたしの美徳なのだけど、じぶんのキャパを越えてまで愛そうとしてはいけないね。
どうやったらたいせつなものを入れる箱にじぶんをいれられるんだろう、っておもうけれど、仕分けしなきゃいけないんだから永遠にむりだった。どんどんじぶんの優先順位が下がってゆく。見られるわたしがあるだけだ。


【20120816 平和を考える】
終戦記念日という言葉に違和感を覚える。
記念と言うよりは、祈念だろう。
大した救いにはならないけれど、身動きできない息苦しさの中にいるのなら、RADWIMPSの祈跡という曲が、ほんのすこしだけ助けてくれる。
ラッドに出会ったのも高2の夏だったなあ。フォーラムのいちばんしんどかった時期に毎晩帰りに聴いてた。自分の全能感と無力感の狭間でうちひしがれていたときに、音楽は決して根本的な解決は導いてくれなくても、最後の砦にはなってくれた。
千代の平和を名前に織り込まれて、ずっとすこしおもたい、とおもっていた。緊迫を持って平和問題への思考を迫られていた。
日米安保条約を中学校の卒論のテーマに選んだのは、ひとつの運命だった。平和、の問題は、わたしのライフワークにしなければならないもののひとつだと勝手におもっている。
印象的な出来事が3つ。
中3の夏休み、一般主催の国際交流のイベントに参加した。ボランティアの大学生に、「宗教と政治と歴史の話はしちゃだめ」と言われた。そのイベントの主旨に、平和について考え、戦争に関する発表をする場も設けられていたにも関わらず!恐らくもっと上の人の指示だとは思うけれど、15歳のわたしでも、違和感が拭えなかった。
高2の修学旅行、交流先の韓国の学校で、グループを隔ててひとりの男の子と仲良くなった。彼が、果敢にも秀吉の侵攻の話を聞いてくれたからだ。攻撃的な色はすこしもなく、純粋な疑問だった。彼とはいまもメールを続けている。彼は今年、兵役を終えた。今も見えない線は、彼らを妨げる。
大学3年の夏、白熱教室in広島の会場で、ロールズの正義論と、記憶のケアを論じた。いや、論じることができなかった。戦争=絶対悪という思考停止の泥濘から、足をひきぬくことができなかった。あのときの足の重たさを、わたしは決して忘れられないだろう。3年目にして真にヒロシマを感じた日。
そのただ中を生きていないわたしたちにできるのは、知ることだけだ。これほどすべての物事は多角的で相対的であることを伝えてくれる材料はない。目を背けるのも、一面だけを取り上げて執拗に攻撃するのも、おなじことだ。知って、考えて、悩んで。真摯に向き合うしかできないなら、それをする。
もうとっくに、戦争を知らない子どもたちの子どもたちの時代が来ている。昭和を知らない。生まれたときから、大きなビハインドを背負っている。背負わせたのは誰だ。でも。知らないから、知れて、できないから、できるようになることもきっとあって。だってわたしたちは、白紙なんだから。からっぽなんだから。
原発問題や日韓問題のような自分の立場を示さなければならない主張はだからひどく苦手だ。絶対的正義というものは、ない気がしてしまって。主観を一切交えず話すことなんて、できるはずがないし。
すごく、シンプルだとおもうのに。たいせつなひとが傷つくのは、だれだっていやじゃないのかな。かなしくないのかな。みんなだれかの、たいせつなひとなんじゃないのかな。国家のことなんて知らないけれど、戦争を始めるのが個人である以上、止めることができるのも、個人の力だけなんじゃないだろうか。
国家だって政府だって最小単位は個人だ。個人の力を結集させるとか一致させるとかのことにわたしは一切関心がなくて、各々すきな方向を向けばいいのだけど、ただすべての個人が すこし立ち止まって考えるだけで、かなり改善されることって、少なくない気がする。なんていうのは、楽観的すぎるんだろうか。
無知と無関心という、行動を起こす以上の、愚かさ。
どこまで行っても、終わりの見えないトンネルを進む。
でも、それでも、足踏みしてても、靴は減るのだ。祈るよ。

想像力の有限と無限は、おそらく表現の有限と無限のすごく近くにある。だから、惹かれる。

今日も明日も愛と感謝に生きよう

【20120712 公的な幸福、私的な幸福】
個人の幸福と公共の福祉としての幸福のダブルスタンダードで生きているので、愛とかいうもので個人の幸福を手に入れられても、もう一方が満たされないから、あんまりしあわせそうに見えないのかもしれないけれど、ちゃんとしあわせなんだよ。ただ、長い長い留保つきの幸福であるだけで。
わたしの幸福は、わたしのたいせつな人たちの幸福で、だからきっと、わたしがしあわせになることで、自分もしあわせになれるのだと言った、彼の言葉を、わたしはいまも忠実にまもっているのだとおもう。


【20120719 教えること、学ぶこと】
「答えのない世界が楽しい」ひとばかりじゃないし、塾に来る生徒たちはなんらかの「答え」を求めているのだとおもう。わたしみたいに「答えのない」世界ばかりが楽しい人ばかりではない。
「学ぶ」という、その営みの崇高さを、言葉を尽くして語ることはいくらでもできるけれど、本人に切迫を伴って伝わらなければ何の意味もない。だから卑近な言葉で語る。いつかわかってくれる日が来る、そうかもしれない、でもそれは今じゃない。学力が求められているのは、今だ。
本来なら、学校で学ぶことのできたはずのそれが、不十分な授業によって妨げられさえもする。授業とは、業を授けると書くにも関わらず!幸か不幸か、わたしはそれを授けてもらえる出会いに恵まれすぎていた。
「教育者」の観点ではなく、「学習者」の観点に立つから、教育の問題の、様々なことがひっかかるんだろうなあ。解答は「書かされる」ものではなく、「書ける」ものであってほしい。
学力について考えたり語ったりするとき、わたし自身が「学ぶ意義」そのものを問うてしまうから、そもそもの問題設定から噛み合わないのかもしれない。


【20120720 世界の軸、再び】
複数のコミュニティに所属することを覚えたのは中学生のとき。最初は純粋な、あれもしたいこれもしたいという好奇心からのスタートだった。じぶんに与えられた時間を切り貼りして、パズルみたいに日々をやりくりするのはとてもたのしかった。手帳の使い方を覚えた時期とほぼ一致する。
それが次第に、消極的理由に変化する。家族という一番基本になるべき世界の軸が破綻するというか、ぶれたことがあった。逃げ場としての、コミュニティを確保するようになった。
家庭で身動きできなくなって、楽器庫で呼吸できなくなって、そうして逃げ込んだのが生徒会室だったのかもしれない。
きっかけはどうであれ、増やした世界の軸はすべて自らで選びとったもので、あいしてきたし、あいしている、どれも。世界の軸、均衡、バランス、どんな言葉で表現してもいいけれど、それに対してわたしは過剰に執着し、その崩落を恐れている。だから世界はよきものとしてつくられたと言ってくれるライプニッツに救われずにはいられない。
大学でよくわからないまま飛び込んだ最初のコミュニティが、あまりに閉鎖的なもので、だから馴染めなかったし、とてもこわかったのだとおもう。この世界が壊れてしまったら(実際そうなったのだけど)、わたしはじぶんに内在する空虚に対峙しなければならなくなる。

わたしはからっぽだ。

ずっとそうおもってきたし、おもっている。だからこそ吸い込めるものも、そうでなければ吐き出せないものもそれなりにあるけれど、なんにも属さない、参与しないむきだしの「わたし」で生きることは、裸で渋谷を歩くような心許なさと羞恥があって、「ありのまま」という言葉の傲慢さに耐えられない。
これからもわたしは、きっと、いろんな世界に飛び込んで、わたしの中の軸を増やしてゆく。そのすべてを平等にあいすることはできなくとも、最初にあいした世界を、忘れてしまうこと、手放すことはもうないだろう。すてきな世界に出会える、夏だといい。


【20120722 呪縛、あるいは醜い執着】
わたしの人生はどう捻じ曲がってもわたしの人生なので、それを続けるのも止めてしまうのもわたしの自由なのだけど、おわりについて考えたとき、引きとどめてくれる存在がいるということはきっととてもすてきなことであると同時に、重たいことだ。
たとえば彼からの本来存在しない期待が、わたしを成長させると同時にわたしを苦しめる。それに適わないわたしであってはいけない。それに適うわたしでいたい。彼は そんなことわたしに求めていないのはわかっているのに。彼はわたしらしくあることを求めているのに。じゃあわたしらしさってなんなの。
他人の望む姿を演じるほうがよっぽど簡単だ。そしてなるべきモデル、成長につながるよりよいモデルを提示してくれる出逢いは確かに僥倖と呼べるのだろう。容易にぐらつく自己を担保してくれる点で。「貴女は、貴女です」ああ、そう言ってくれるだけで!
中高のやわらかな呪縛にぐるぐるとくるまる。あんまりそこが、居心地がよかったものだから、困ってしまうんだよ。ぜいたくだね。
「じぶんをたいせつなもののカテゴリにはいつまで経ってもいれられない」というのはまったくそのとおりで、でもその他のたいせつなものをたいせつにするためにはまずじぶんが存在しなくちゃいけないのだなって、コペルニクス的にぐるぐると思考を転回させる。

他者からの承認によって(しか)自己は存在し(得)ない。

ゆがんだかたちで承認が行われれば、ゆがんだかたちでの存在が立ち現れてしまう。しかし主観を一切交えず、なんらかを認識したり承認したりすることはできない。わたしたちにできるのは、できうる限り、透徹した、まっすぐな視線で、他者を、世界を、承認しようと意識することだけ。
紺色の闇の中、自己の自己矛盾的自己同一に対峙する。


【20120725 語れ、踊れ、高速で】
来年から同じ土地で同じ職種に就くひとたちとお知り合いになり、盃を交わす。
暗褐色の、よく冷えたタールのような液体をするすると流し込む。一息、二息で、軽い缶は空になる。維持したつもりで、どこかねむっていた理性が、ぼんやりと目覚める。明日の朝、またきちんと生き直せるように。
この三年間、四年間で、失ってしまったものを嘆くのではなくて。共に戦える仲間が、こうして増えるというのは、すばらしいことだ。眠れなくてもつらくても くるしくても、それでも夢だったのでしょう。そうして言葉をかけてくれる、おなじ世界のひとがいれば、何度でも立ち上がれる気がするの。
書き言葉を、伝えることを、いいえ、伝わるという奇蹟を、わたしは信じているんだよ。

早口を指摘されてから、意識しているのだけど、このリズム、このテンポで言葉を刻む世界にいきていて、わたしはそこが居心地がとてもよくて、そして凡庸なわたしは、このリズム、このテンポを、その渦にいることの中で、身につけていったのだよなあ。そもそもの素養もあったのかもしれないけれど。
楽だなあと思ってしまって、楽なほうにゆくのは簡単で、それだけじゃいけないのだけど、脳をスポンジのようにするこの感じ、競うように、切るか切られるかの切迫のなかで言葉を競う感じ、思考が深化し、ぐっと世界が鮮明になる感じ、あんまり気持ちがよいものだから。


【20120727 なぜ、読むの?】
わたしは物心ついたときから本の虫で、読みたいから読んでいて、そこにどんな発見や喜びがあるのか、と問われて、うまく答えを見つけることができなかった。小説を読むことは、ひどく自己充足的で自己目的的な行為だ。その結果として得られるもの、生まれるものはあまりないというか、結果を問題としてはいけないのだとおもう。
読みたいから読む。呼吸をするように読む。語彙が増えたり、感受性が培われたり、そういうことは確かにあるかもしれない。でも、わたしにとってはむしろ、眠るとか食べるとかの、生きるために必要な一時的な欲求に近いものとして、読むという行為がある気がしてならない。
だからわたしは、小説を読まないということがわからないし、小説を読まない人にもわたしのことをわかれないはずだ。純粋な欲求として、そこにある。喩えはわるいかもしれないけれど、アルコール中毒患者が、お酒を求めるみたいに。目的とか意味とか価値とかを求めるひとは、たぶん次第に小説から離れてゆく。それがよいことかわるいことか、ただしいかただしくないかなんてことは、だれにも決められない。


【20120730 こんな姿勢で、生きてます】
忙しい、という言葉が嫌いだ。心を亡くすと書くから。亡くした心はどうなってしまうの、忘れてしまうの。誰しもが忙しさなんてそれなりに抱えている。糸井重里の、「多忙は怠惰の隠れ蓑」という言葉は、だから言い得て妙だとおもう。
どうしてこんなに忙しいのかとおもってしまうことはある。そんなときは、忙しいと口に出す前に、いつかどこかでさぼってこなかったか振り返ってみる。忙しさに対するキャパ、できる仕事量というのは、努力次第で拡大可能なもののはずだから。
疲労や悩み事と違って、忙しさは肩代わりすることができない場合が殆どだ。言われた方も、じゃあどうしてあげたらいいの、ってなってしまう。それでもどうしても口をついて出てきてしまいそうなときは、深呼吸する。一番よくないのは、無意識に口癖になってしまうことだ。
「忙しい」と口に出す前に「おっぱい」と言うのはどうだろう。おっぱい…いい響きだ。まあるいものだ。力の抜ける音だ。

「泣く間があったら手を動かせ」と怒られたことがある。
非生産的な自己に対する自己評価をおそろしく低く設定してしまうので、可能なかぎり生産的でありつづける努力をする。
やるかやらないかという選択肢に出会ったとき、すきとすきじゃないとどうでもいいと、やるべきこととやりたいこととどうでもいいことの箱にぽんぽん入れているので、どこにも入らないもの、きらい、という感情にであったときとても戸惑う。
それでもキャパシティにはどうしても限界があって、すごくかなしい。しくじった取捨選択。誤った優先順位。ちいさなてのひら。ぽろぽろ落としてきたもの。壊してしまったもの。想って、すこし、泣く。

どんなとんがった雨からも

七月。2012年も折り返し。
砂時計はひっくり返され残り時間がじわじわと減っていく。
でも、なんの?

非生産的な時間を過ごしていると自己肯定感がどこかに行ってしまう。
歪んだ形であっても、わたしを必要としてくれた場所へ帰ることで、あー働きたいなーとおもう。
ニートのひとってつらくないんだろうか。
つらいからあんなにいろいろ吐き出すのかな。
時間があるっていうのはあんまりいいことではない。
考える暇なんてないくらいのほうがちょうどいいよ。
上手に休みながら。
肩の力を抜くとか、楽に生きるとか、イメージとしてはわかるんだけれど、手抜きや怠慢な気がしてだめだなあ。
何もかもが極端だ。

就職も決まって、友達にも恋人にも恵まれて、いったいなにが足りないというの。
この贅沢病め!
失ってしまったもの、手放してしまったものを数えたって愛しくおもったってしょうがないでしょう。
じゃあ取り返せばいいじゃない。
でもそれができなかったり、ゆるされなかったりする場合は?
失いたくないなら、最初から手を伸ばしちゃいけないのだって。
学習が見られない。

噎ぶように雨が降っている。
今年の梅雨は、とても梅雨らしい梅雨だ。
雨音の影にひっそりと隠れて泣いてみる。
ぐずぐずと吐き出してみる。
圧倒的な青い空と、灼熱の太陽を待ち侘びている。

音楽が足りていない。
ひたすらに、生の音楽が。



病院≠入院だし、お薬≠ODなのだよ、わたし。
だいじょうぶ、病院は元気になりに行くところだ。

悲しくはない 切なさもない

21歳と6ヶ月。
あと半年で22歳。
信じられないな。
いつまでこうして、呼吸を続けていられるんだろう。
前回の投稿から2週間。
何かが決定的に変わってしまった気もするし、何も変わっていないような気もする。
17歳のあの時止まってしまった時計のゼンマイが巻かれた、みたいだ。

自らへの執着の薄さを越えて、失いたくない、と思えるものがあるのはきっとしあわせなことだ。
たとえ、喪失の恐怖に叫びだしたくなるとしても。
やわらかな愛撫の記憶に、繋ぎ止められる。
無関心って、要するに嫌いってことでしょう。
そうなのかもしれない、嫌うことすら、疎かにしている。
投げ出してはならないとわかっているのに、投げ出していることが、いくつかある。

それとは別に(根本では繋がっているのかもしれないが)、時折、すべてを放擲する。
死にたくはない。ただ、生きるということへの、積極的なエネルギーが枯渇する。
あらゆる事象への理解を放棄し、鮮やかな色彩をまとった世界の中で不穏に主張する黒い森へと彷徨いこんでしまう。
森は、日常と非日常のちょうど境界にある。

森の、半分しか知らなかったはずの15歳のわたしが書いている。
死とは、わたしたちにとって最も身近な非日常なのだと。
そして、足元でぱっくりと口を開いて、新たな訪問者を待ちわびる非日常に、足をとられぬよう、わたしたちは、目をぎゅっと瞑り、耳を塞ぎ、互いの呼吸ひとつに気を遣いながら、秩序という脆弱な殻の中で暮らしているのだと。
しかし17歳のある時期を越えて、「あちら側」を、薄目を開けて、指の隙間から、覗くようになってしまった。

意識的あるいは無意識的な散策の最中、身体の至る所に荊棘が当たる。
ぐさりと刺さってしまうこともあった。
血を流したまま帰ることもあった。
彼や彼女の、左腕の赤に、憧れていたのだろうか。
わたしもあの傷を刻んでいれば、抱きとめて、救ってもらえたのだろうか。
わからない。
でもそれをしなかったわたしはきっと、間違っていない。
飲み込んだ「助けて」が、「怖い」が、身体の内側や、精神の表面を切り裂いていたとしても、それをしなかったわたしは、きっと正しかったのだ。
そう信じてもいいでしょう?
誰にともなく、赦しを請う。
これから先も、救われはしないのだろう。
ただ、赦されたい。誰にかすら、わからず。

今は、かすり傷程度で「こちら側」に帰って来られるようになった。
一周して戻ってくる頃には、傷はあらかた癒えている。
ただいま、と屈託なく笑える。
迷い込む頻度自体がかなり減り、森の奥深くまで入ってしまうことも随分少なくなった。
大きな掌でされた目隠しは、見たくないもの、見てはならないものをきちんと覆い隠してくれる。
わたしの手は、それをするにはどうやらすこし小さすぎる、ので。

いつか、明るい木漏れ日の中を、手を繋いで歩ければいい。
いまは、そのための、「必要な過程」なのだと思おう。
少しずつ。


負けないように枯れないように

内省的になっているとまともなことを考えないのでよくないとはわかっているのだけれど、時間を持て余しているせいで不穏なことばかり考えたり思い出したりしている。
ここにはめいっぱい好き放題に書き散らかしているにも関わらず、それでもまだ書いていないことがあって、それは書いて残すことに激しい嫌悪を覚えるからだ。
口に出してしまったことは取り消せないし、紙に書いてしまったことは変えられないのだ、とは、親友の受け売り。
しかしどんなに見ないようにしていても、傷は傷のまましくしくと痛んで自己主張し、忘れる気があるのかないのかわからない自分にうんざりする。
単純に忘れられない、だけなのかもしれない。
忘れたくないの?
自分で自分を記憶に縛り付けてなにがたのしいの?
悲劇のヒロインを気取りたいの?
反吐が出そうだ。

背負わなくていいものばかりだって、わかっている。
ほんとはきっと、そんなに重くもなんともない。
がんじがらめに過去に手をとられ、握り締める闇は深く濃い。
言語化して、ひと通り泣いてしまえばきっと楽になれる。
それをするべき時にしてこなかったから、いまこうして涙がぐずぐずとわだかまっている。
しかし独りで泣くにはあまりに遠い場所まで来てしまった。
もうあのときじゃない。
でも結局、きちんと治療せず目を叛けてきただけだから、その部分はその部分として醜い姿のままわたしのたましいにとてもちかいところに残ってしまっている。
均衡の深淵に立ち尽くす度、こちら側に留まるのに、どれだけのエネルギーを費やしているのだろう。
そんな場所、本来ならば立つことすらしなくていいはずなのに。

こわい。すごくこわい。ぜんぶこわい。
いつまちがえてしまうのか。いつすべてめちゃくちゃにしてしまうのか。
いまが満たされすぎているからこそ。

1,2,3。目を閉じて深呼吸。
深く深く、吸って吐く。
氷塊が融解するときは、もうきっとそんなに遠くない。
パンドラの匣に最後に残ったのは希望だったという。
ぐらつく蓋を押さえつけることばかりに躍起になっていたけれど、美しい名前のそれを見てみたいと、今なら思える。
これもある種の成長だ。

大丈夫。
変われる、変えられる。変わる、変える。

ガラス玉ひとつ落とされた

くぐり抜けた門の驚くべき狭さに、通り抜けた後に気づいて目が眩む思いをするのは、人生二度目だ。
一度目は10年前、そして二度目は10年後。
そのキリの良さになんらかの符合を感じてしまうのは考えすぎだろう。日本の3・3・4学制によるものであるということはわかっている。
内定式というものに行ってきた。
書類に判をつき、これからの話をしてもらう。
どうやら夢でもわるい冗談でも何かのびっくりでもなかった、らしい。

同期は男の子2人であった。つまりわたしを加えて3人しかこの会社に今年入社することはできなかったのだ。
受験番号から推察するに、倍率は約100倍。
100人にひとり。
それが相場に比べてどうかということはよくわからないけれど、少なくとも決して多くはない数字だろう。
中学に合格した時とおなじ、蹴落としてしまった、という意味のわからない罪悪感に、苦しめられているというほどではないものの、悶々としている。
椅子取りゲームというものを、感覚的に受け入れることができないのだ。
やさしさでもなんでもなく、よわさだとおもう。
奪い取った場所で光を浴びる。
わたしにそんな資格があるの?わたし、なんかが?
でも確かに、選んでもらったのだ。その門の狭さに気づきもしないままに。
選ばれたことに誇りを持っていいし、その重さはわたしが背負わなければならないもので、選ばれなかったひとの分まで書いて、書いて、書かなければならない。いや、書きたい。

これからの10ヶ月は、ポケットを膨らますために使ってほしいと言われた。
身体中を、耳に、目にしよう。
どこからか授かった人よりわずかに鋭敏な五感を研ぎ澄ます訓練。
精神的な疲弊はわかっている。
しかしそれはわたしが超えなければならない壁だ。
じぶんの足で、歩いてゆこう。
走らなくてもいい。ただ、この軟弱な足の裏で「感じる」ことの必要をつよく意識している。その直観を、貫きたい。
その先にはきっと、懸念である体力もついてくるはずだから。

漫然と生きるのではなく、「小さな声」に耳を傾け、その声を論理的に伝えることのできる人間に。
語り部として、生きてゆく覚悟を。
自分の言葉を信じる。だれよりも、わたしが。
どんなことがあっても、わたしは、わたしだけは、言葉を、いや、わたしの言葉を、疑ったり裏切ったりしてはならない。
矜持を持って、書こう。語ろう。
何度でもこの日のことを、思い出したい。