募る愛情は君をすり抜けて僕をもうつまらない過去にする
ひさびさびっくりな具合のわるさです。
年末アナ雪を観たときもおもったけど、録画してたラプンツェルでも、さすがディズニーはディズニーだなっておもう。ディズニーランド行きたい。
音楽はどんなときでも救ってくれるからずるい。
楽器が吹きたい(当然、バスクラリネットのこと)への思いがあふれてあふれてしかたないんだよ、この真っ暗でネガティブな感情はすべてあのすとんとした筒体の中に流れ込んでしまえばいい、うつくしいものに変換されて、朝顔型のベルの中から吐き出されればいい。
5月のイベントは回避できたけれど本紙にいく企画からは逃れられない。がんばれわたし。観ていてくれる、ひとはいるんだ。
中高大くらいのときはあっちとこっちを行き来してて、まあそれなりに自分の感情のコントロールもうまくなったつもりでいたんだけど、成人して社会人になって、日々に忙殺されているうちはいいのだけどうっかりあちら側を覗き込んでその上手招きされてしまうと困ってしまうな。
違う会社の後輩の女の子はとてもわたしに似ていて、かわいいし大事にしてあげたいはずなのに、弱いわたしが顔を出して捨てたはずのものや癒してきたはずのものを思い出してしまう。
生まれたからには生きるしかないんですよ、
失うほどの損なうほどのエネルギーはわたしにはもったいないしそれだけの価値はないし。消極的なポジティブさ。
疲れてぽうんと飛び出してしまった一言を見逃してもらえずへこむ。圧倒的にわるいのはわたしだ。
どんなにがんばっているつもりでも、評価の対象となるのはその一言。
だれかほめてください認めてください。ここにいていいのだって。
それでも、どんなひとであったて状況であったって、自分で自分を傷つけることは正当化されるべきではないとおもう。そう信じている。
だって痛いのはくるしいのはつらいのは、だれも救いはしないでしょう。
わたしが嗚咽を漏らすことは、世界をわずかほども揺らすことはない。
衝撃的にアルコールに弱くなっていて、家族と恋人と親しい友人と、それ以外に全然心を許せなくて。
お買い物をして、おいしいものを食べて、心をゆるめなきゃ。
くるしいよ。
こわいこわい孤独ださみしい。