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空白

そこに描き出すしかないのだもの。

宛先のない手紙みたいな

30連勤の11月を乗り越えた。
なんとか。ほんとうに、なんとか。
やり過ごした、という言葉のほうが、正しいのかもしれない。
いくつかの犠牲(主に卒業論文)と引き換えに。
しかしもうすこし落ち着くとおもっていたお仕事がそうでもなく、結局2月まで短期はだいたい週2~3、塾は週4で入らなければならないみたい。
塾は仕事は簡単だし生徒はかわいいのだけど、経営者がくずなのと拘束時間のわりにお給料がよくないのとシフトの融通がきかないのがいやだ。
あとすごくあたまのわるい新人が入ったのだけど、それが中高の同級生のおにいさんでとてももやもやとする。
2014卒就活もはじまりましたね。
働くということには、就活を始める前も、終えた後も、真摯に向き合えないというか、答えは出ていません。
やりたいことをやりたいように。じぶんに素直に、正直に。
わたしはそういうふうに生きてきたし、生きていきたい。
同じ服を着て、同じ髪型で、同じ笑顔を貼り付けて、同じ言葉を吐き続けるようなそんな気持ち悪いこと、しなくていいじゃないですか。
にせものはすぐばれてしまうんだよ。自然体で。

昨日は約2ヶ月ぶりに日曜がオフで、時間を気にせず朝寝坊し、おかあさんと卒業式用の袴を決めに行った。
成人式の時は朱色だったけれど、今回は桃色に緑。とても春っぽい。
おもっていたよりだいぶ高くて、申し訳ない気持ちになる。
予算との差額を支払おうかと言ったけれど、断られる。
先月、父から我が家の財政難を告げられ、金融緩和策の一環として交通費援助を打ち切られたので。
中学生の時は、それで父親が精神的にだめになってしまって、すごくトラウマなのだけど、今回はそういうわけではなさそうなので、あんしんしている。
当時をよく知らない弟は今回かなり衝撃を受けているようだけれど。
祖母の調子は相変わらずで、しかし、問題は祖父らしい。
重なるときは重なるもので、母親がそうとうつかれている。
それはそうだとおもう。土日のどちらかは毎週、鳥取に帰っているのだもの。
うっかりすると絶望してしまいそうになる、けれど。

絶望は超克するためにあるのであればいい。
先週の日曜日、香川であったあじあんかんふーじぇねれーしょんのライブに行ってきました。
はじめてのライブはばんぷ、今年の5月にはくるり、そしてあじかん。
ある時代のろきのんぽいですね。すきだもの。
しあわせなじかんだったの。
これを支えにがんばっていたといっても過言ではない。
ひとつたのしみを終えてしまっても、次のたのしみがあるのが12月という月のいいところだ。
きんとした怜悧な空気と、浮ついた色彩のコントラストを、たのしむ。
吐くのはやめた、わらおう。
一年の中で、いちばんすきな月。だいすきな一ヶ月。
あいされているのだという、自負と安心。
たくさんたくさん、もらってばかりいる。そんなつもりすら、なく。