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空白

そこに描き出すしかないのだもの。

どうせいつか終わる旅を僕と一緒に歌おう

【20120803 夢を追う】
ひとやものを軽蔑する言葉を、あまりに無意識に紡げることに、びっくりしてしまうんだよ。うつくしい声で、うつくしい言葉を。いつも心のすみに置いておく。
どす黒い感情に飲み込まれてよわっていた日々、繭のような愛情で包み込んで、癒えるのをすぐとなりで見守ってくれていたひとに、どんなにみにくい声で、みにくい言葉を浴びせていたんだろう。ごめんね、ありがとう。この気持ちも一緒に、忘れないよ。
自分が夢を追いかけている途中だったり、より大きな夢を叶えた後でも、他人の夢の実現を「すごいね、おめでとう」って純粋に祝福してくれるともだちばかりで、ほんとうにうれしいし、尊敬する。わたしもそうでありたい。


【20120812 美しい議論を求める】
議論には美しさが求められると思う、という後輩の問題提起。美しい議論は自ずと強い議論であるはずだ。
それは、一方向の努力では成り立たない。双方向の指向性が一致してはじめて到達し得る場所である点で、すごく芸術に近い要素を持つ気がする。与える側と、受けとる側が、真摯に向き合い、おなじ硬度、強度でぶつかるとき、とてもおおきな美へのエネルギーが生まれる。
噛み合わない議論は、それはそれはうつくしくないね。
わたしにとって美しい議論とは、噛み合っていること、論理的無矛盾性にそれぞれの主張が貫かれていることだから、決して単なる言葉遊びに終始してしまうことはないとおもう。その先に拓かれる境地に驚き目を瞠る、生産的な営み。
視野狭窄と思考停止は議論の美しさをいつだって妨げるけれど、ある程度の規律の中にないと完全に破綻してしまって、その駆け引きというかバランスの見極めがすごくおもしろい。
議論においても会話においても、コミュニケーションの場での美しさって本質的にはあんまり相違なくて、スピード感とフォーマットの違いだけな気がする。どちらもすごくすき。

対立や衝突は、実は止揚の契機なのだ。蕾を、花を、否定した先に、果実が結実する。
ああ、本気でぶつかり合っても、いちばん大切なものは壊さない、壊されないと信じることも、美しさの一翼を担っているのかもしれない。
いつだって、夏だった。下校時刻を大きく回った教室で、ああでもない、こうでもないと首を傾げたり、時には泣きそうなほど苦しかったり、それでも漸く探り当てた一筋の光明にはしゃいで、逃がさないよう握りしめて、でもそこには次の困難があって、その繰り返し。
歩いて、立ち止まって、足がもつれて、転んで、泥だらけになって、それでも、愚直に、進み続けて。蜩の鳴く声、夕立にけぶるアスファルト、淡い水色はいつしか深い夜の色へ。そんな時間を、確かに共有していた。

斬るか斬られるかの覚悟で言葉を紡げって、君にはそれができるって言ってくれたせんせいがいてね、。


【20120814 楽器を奏でる】
懐かしさの甘やかさの前にゆるやかに絶望した。
高校吹奏時代は注ぎ込んだものがおおすぎておおきすぎて、いつまで経っても適切な距離の置き方というのがよくわからない。不器用なかたちでしか笑えない。軽やかな姉であり続けたいだけなのになあ。
おもったより全然楽器は吹けたのでよかった!尊敬する先輩に「楽器買いなさい」って言ってもらえてうれしいやら悩ましいやらで、ほんとに楽器との相性が良いのだとおもう。
楽器が吹けたというただそれだけでこんなにしあわせなのに、どうしてこんなに近くに涙があるんだろう。
劇薬みたいにすこしずつ慣れて鈍磨させてすり減らしていくしか、ないんだよ。
たいせつなものに対する愛情深さはおそらくわたしの美徳なのだけど、じぶんのキャパを越えてまで愛そうとしてはいけないね。
どうやったらたいせつなものを入れる箱にじぶんをいれられるんだろう、っておもうけれど、仕分けしなきゃいけないんだから永遠にむりだった。どんどんじぶんの優先順位が下がってゆく。見られるわたしがあるだけだ。


【20120816 平和を考える】
終戦記念日という言葉に違和感を覚える。
記念と言うよりは、祈念だろう。
大した救いにはならないけれど、身動きできない息苦しさの中にいるのなら、RADWIMPSの祈跡という曲が、ほんのすこしだけ助けてくれる。
ラッドに出会ったのも高2の夏だったなあ。フォーラムのいちばんしんどかった時期に毎晩帰りに聴いてた。自分の全能感と無力感の狭間でうちひしがれていたときに、音楽は決して根本的な解決は導いてくれなくても、最後の砦にはなってくれた。
千代の平和を名前に織り込まれて、ずっとすこしおもたい、とおもっていた。緊迫を持って平和問題への思考を迫られていた。
日米安保条約を中学校の卒論のテーマに選んだのは、ひとつの運命だった。平和、の問題は、わたしのライフワークにしなければならないもののひとつだと勝手におもっている。
印象的な出来事が3つ。
中3の夏休み、一般主催の国際交流のイベントに参加した。ボランティアの大学生に、「宗教と政治と歴史の話はしちゃだめ」と言われた。そのイベントの主旨に、平和について考え、戦争に関する発表をする場も設けられていたにも関わらず!恐らくもっと上の人の指示だとは思うけれど、15歳のわたしでも、違和感が拭えなかった。
高2の修学旅行、交流先の韓国の学校で、グループを隔ててひとりの男の子と仲良くなった。彼が、果敢にも秀吉の侵攻の話を聞いてくれたからだ。攻撃的な色はすこしもなく、純粋な疑問だった。彼とはいまもメールを続けている。彼は今年、兵役を終えた。今も見えない線は、彼らを妨げる。
大学3年の夏、白熱教室in広島の会場で、ロールズの正義論と、記憶のケアを論じた。いや、論じることができなかった。戦争=絶対悪という思考停止の泥濘から、足をひきぬくことができなかった。あのときの足の重たさを、わたしは決して忘れられないだろう。3年目にして真にヒロシマを感じた日。
そのただ中を生きていないわたしたちにできるのは、知ることだけだ。これほどすべての物事は多角的で相対的であることを伝えてくれる材料はない。目を背けるのも、一面だけを取り上げて執拗に攻撃するのも、おなじことだ。知って、考えて、悩んで。真摯に向き合うしかできないなら、それをする。
もうとっくに、戦争を知らない子どもたちの子どもたちの時代が来ている。昭和を知らない。生まれたときから、大きなビハインドを背負っている。背負わせたのは誰だ。でも。知らないから、知れて、できないから、できるようになることもきっとあって。だってわたしたちは、白紙なんだから。からっぽなんだから。
原発問題や日韓問題のような自分の立場を示さなければならない主張はだからひどく苦手だ。絶対的正義というものは、ない気がしてしまって。主観を一切交えず話すことなんて、できるはずがないし。
すごく、シンプルだとおもうのに。たいせつなひとが傷つくのは、だれだっていやじゃないのかな。かなしくないのかな。みんなだれかの、たいせつなひとなんじゃないのかな。国家のことなんて知らないけれど、戦争を始めるのが個人である以上、止めることができるのも、個人の力だけなんじゃないだろうか。
国家だって政府だって最小単位は個人だ。個人の力を結集させるとか一致させるとかのことにわたしは一切関心がなくて、各々すきな方向を向けばいいのだけど、ただすべての個人が すこし立ち止まって考えるだけで、かなり改善されることって、少なくない気がする。なんていうのは、楽観的すぎるんだろうか。
無知と無関心という、行動を起こす以上の、愚かさ。
どこまで行っても、終わりの見えないトンネルを進む。
でも、それでも、足踏みしてても、靴は減るのだ。祈るよ。

想像力の有限と無限は、おそらく表現の有限と無限のすごく近くにある。だから、惹かれる。