読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

空白

そこに描き出すしかないのだもの。

怠惰に委ねた最後の青さ

タイトル林檎ちゃんが続いてしまった。
フレーズを切り取ってうつくしいせいだ。

10日間隔。ここ最近ではいいペース。
弟は第一希望の職種だめで、わたしは自動車学校の一段階の修了検定だめだったけどまあしぬわけじゃないし大丈夫。げんき。
週末は実家に帰って美容院に行っておかあさんと会って充電してくる。
ほんとは就活用の証明写真撮る予定もあったんだけれどそんな時間はなさそうだな。
そんな気分でもない、という理由のほうが大きいけれど。
8月の頭に黒染めをして、いまめちゃくちゃ髪の色が明るいのはなぜなんだろう。
車校の再試験料で1万かかってしまうので、カラーの余裕はないなあ。
でもパーマはあてる。じぶんにあまい。だって10月ちょうバイトがんばった!

ここ数日twitter上にばらまき続けている思考の断片とその補足。

強い人がいい。強がれる強さを持っている人がいい。
自分が手に入れたいとはおもわないけれど。
昔、「あなたはつよいね」って言われて、なぜかくるしかった。
だから強くあれる人、強くあろうとできる人は尊敬する。
繰り返すけれど、わたしがそうなりたいわけではない。だからこそ憧れる。
欲しくて手に入れられないものを持っている人を尊敬することはない。
嫉妬するだけだ。うつくしく、ない感情。
欲しい欲しいと叫んで羨ましがって、じゃあ手に入れるための努力をするのかと。
ああ、ないものねだりも、あるいは努力のほうも、なんてうつくしく、ない。
努力せずして手に入れたものに価値なんて見いだせないけれど、努力をしても手に入れられなかったものはただただ憎たらしいだけだ。
こういうところはいつまでたっても幼いころのまま。

泣かないと決めたから、最近あんまり泣いてない。
わたしにとって泣くことは難しいことじゃあない。
でもいつかほんとに泣けなくなってしまったら、それはどうしようもなくかなしいことだなあとおもう。
そのかなしみでまた、泣けるのだろうか。
泣かずに生きる世界は、そんなにひどくもないけれど、うつくしくもない。
世界の中心はいつだってわたしだ。
そのとおり。
じゃあわたしの中心は?
軸を持たない生き方はひどく気楽で、だから世界の軸、すなわちわたしすら手放したい気持ちになるんだろう。
そこではきっとすべてが透明になる。うつくしさもみにくさもすべてどこかへ還元される。
なんだか、さみしい。
スピノザのすきなところは、それでも世界はうつくしいと言ってくれるところ。
シェイクスピアのすきなところは、きれいはきたない、きたないはきれいと言ってくれるところ。
結局なにも諦めきれない。だって世界を、(あいして、いる、このぐじゃぐじゃの感情も含めて!)

「はっきり言いますよ。今や文学は危機を迎えていて、近代文学は死んだのであって、そもそも文学なんて終わりで、などと様悪しいことを一度でも公言したこ とがある人は、フョードル・ミハイロビッチドストエフスキーという聖なる名を二度と口に出さないで頂きたい。不快です。」
佐々木中『切りとれ、あの祈る手を <本>と<革命>をめぐる五つの夜話』を読んだ。
赤い、本だった。目を閉じても、瞼の裏に、その赤が、しみついて離れない。
面白かった、というには語弊があるし、人に勧めるにも躊躇いがあるけれど、読んでよかった、と思える一冊。
繰り返し読みたいし、読まなければ、とおもう。
せんせいありがとう。
折ったペンは、いまでもわたしを待っていてくれるのだろうか。
大学の教授にも、「何か書いてみないか」と言っていただいた。
そういうこと言われると、考えてしまうあたり、結局すきで、離れられないんだろうなあ。

わたしのまわりは言葉を使いすぎる人ばかりで、時々言葉を出し惜しみする人と生活を共にするとなに考えてるのかわからなくていらいらする。
口先だけでも、 うわべだけでも考えてることを教えてほしい。そういう風に生きてきたから。
言葉はいつだって多すぎるか少なすぎる。調度よく使える人を知らない。
絵を観るとき、音楽を聴くとき、知識(それを言葉と呼んでもいいのだろうけど)があれば楽しめる。
でも、勿論なくても楽しめる。むしろなくても楽しめるも ののほうが、「わたし」のすきなものなんじゃないかなあ。
雑多な情報は純粋な鑑賞を妨げる。たとえそれが、文学であっても。解説なんていらない。
あとがきもすこし苦手。
じんわりするようなのもあるけれど、言い訳にしか聞こえないものもある。
「翻訳ではなく、原典にあたること」の大切さをわたしの恩師は口を揃えて言う。
そこには翻訳者の解釈が否応なしに混じって、うつくしい状態ではないから。
「わたし」の解釈だけで読む、ぶつかる、感動。
だから語学は得意でもなんでもないけど必要に迫られてやってきて、それなりに使い物になるようにはなってきた。
がんばればなんとかなる分野だからきらいではない。
わたしは好き嫌いもはっきりしているけれど、向き不向きは輪をかけてはっきりしている。
幸い語学は不向きではない、らしい。運転は完全に不向き(苦笑)

思考をとろとろと吐露。きもちいい。
前はここがそういう場所だった。でもtwitterはリアルタイムで他の人の話も聞けるのがたのしいので、つい入り浸ってしまう。
もしこれが金色ならはちみつ。銀色なら水銀(つまりは、毒)。きっと今は銀色寄り。
ああでも、水飴みたいになりたいなあ。
銀色にも見えるけれど、透明で、舐めると、あまい。
たしかにちゃんと存在は、する。
そういう風に世界を見ていたいし、世界を紡ぎたい。