空白

そこに描き出すしかないのだもの。

未来の私が笑ってなくても

2011年、3月11日。
東日本大地震。
被災された皆様に、深い哀悼の意を示します。
一日も早い復興のために、わたしもできることを、していきたい所存です。

もう一週間も経っただなんて信じられません。
あの日、わたしはやっぱり実家がある岡山にいて、ごろごろとTVをつけたまま本を読んでいると、いきなり番組が変わりました。
地獄絵図、そうとしか言えない光景が広がっていました。
わたしの家は高台にあって、津波とはまったく縁がありません。
街ひとつ飲み込む、そういう表現がぴったりでした。
直前まで笑って泣いて躍動していた一人一人のいのちが、穏やかに営まれていたひとつひとつの生活が、一瞬にして、数字という記号に還元されてしまう。痛い。

報道は日々、過熱しています。
わたしはそれを見る気になれない。
自分の無力を痛感するだけだから。
かといってバラエティを楽しむ気にもなれない。
必然的にオーディオがなくラジオが入らない家の中では無音です。
何かしなくちゃ、という気持ちに駆られて、最初の数日はtwitterでたくさんの情報をリツイートしました。
わたしのフォロワーさんは決して多くないし、それによって誰かを救えたともおもわない。
きっとただの自己満足です。
でも、何かしたかった。たくさんのひとの何かしたいというその善意が空回って、不確定な情報やデマゴギーもたくさん広がりました。
情報のソースを確認したり、こういう事態でも冷静さを保つ必要性を痛感しました。

学生たちも多く、立ち上がろうとしています。
しかしわたしは、彼らの街頭募金には賛同しません。
そのお金は自分で、日本赤十字に振り込みます。
こういうことは大人に、プロに任せるべきだと思うから。
まだ自分と同じ子供である彼らの箱を、信じられないわたしがいます。
いまめっちゃ大阪で就活がんばってる先輩の話を聞いていても感じるけれど、就活投げて現地に向かうよりきちんと就職して社会に貢献することのほうがよほど復興支援になると思うのです。
『「【RT拡散希望】いま学生たちは、何よりも勉強すべきだ!募金は経済力のある大人に任せよう!!復興に貢献できるようになるまで、時間はかかるかもしれない。でも震災を乗り越えたあと新しい日本を築くのは、僕たちの世代なのだから!!」ってことで解決じゃね? 』とつぶやいた後輩もいました。

正直なところ、原発のこわさは、いまいち実感できません。
稼動させるのをやめたらいいのに。
安全だって言ってくれてるのに。
どうもマスコミが無駄に危険を煽っているように思えてならない。
ただ、自衛隊や東電の職員の方々はとても心配です。
彼らだって、被災者でありながら限界状況でがんばってるの、家族だっているの、警察や自衛官同様、ヒーローなの。
電気の通ったあたたかな部屋で好き勝手言っているあなたたちは一体なんなの。
自衛隊はいまも、分速3人ペースでいのちを救っている。
9条に関してはばりばりの保守派だけれど、自衛隊は必要だと考えます。
矛盾するふたつだって共存していい。絶対悪も絶対善もないのだから。
自衛官さん、ありがとう。

今年、弟は一般曹候補生を受験します。

岡山は今日も平和です。
生きているわたしたちにしかできないことをしよう、と思います。

最後に、糸井重里の今回のことに関する意見文をリンクして、終わります。
http://www.1101.com/20110311/