空白

そこに描き出すしかないのだもの。

絶望すると楽になるね

検査結果が出ました。
ウイルス性の感染症にかかっていた、らしい。
風邪と同様のもので、なんか外部の刺激に過剰の反応を起こしてしまって、今はもう治ってきている、でも原因を特定することはできなかったから経過観察はしていこう、みたいな、そんなかんじ。
もううんざりだ。原因不明は、もう、うんざりだ。
わたしはこの体質がすごく大嫌いで、このことをコンプレックスに思っていたりするのに、家族にもそこを責められる。
わたしのせいじゃない。わたしだってすごくもどかしい、いいえ、わたしが一番もどかしい。

でもこの2、3月は一回すべてを放り投げてみようとおもったので、毎日実家で勉強したり本を読んだり映画を観たり散歩したりしている。
非生産的な生活は嫌いだ。
来週の金曜は美容院に行って、知り合いのお芝居を友達と観に行くからすこしは元気になれたらいいなあ。
身体はたしかに元気になりつつあるけれど、心はぜんぜん、元気じゃない。

耳にいろんな雑音がうずたかく積もっていく。音楽、って、どんなだったっけ、

いつかわたしが愛したもの。一度もわたしを愛してくれないもの。いつかは愛されていると錯覚させてくれたもの。ひとりではなし得ないもの。他人を必要としてはじめて成立するもの。いま、わたしの中に音楽をする条件はなにもない。からっぽだ。こんなのはじめてで、戸惑っている。
やめることも続けることも、できないよ。

ここ数日短歌なんて詠んでいるのだけれど16歳の時と18歳の時にも詠んでいて、でも絶対16歳の時のほうがよくてだから今は18歳の時よりさ らに退化しているんじゃないかってこわい。年々奔放に書くことができなくなっている気がする。それはつまり奔放に生きるということが。

インプットは増えているはずなのにアウトプットの量も質も下がっているような気がしてならない。それが歯がゆい。音楽にせよ書道にせよ文学にせよ芸術はア ウトプットで、わたしはそれを手放しては生きていけないはずだったのにそれがいまはどうだ。自分の情けなさにおぼれるだけだ。

芸術なんて所詮自己満足に過ぎない。でも自分も満たすことができないものが、他人を揺さ振ることなんてできるんだろうか?誰かひとりでいい、そのひとりを救うことが?魔法使いになるのです、そう豪語していたわたし。失ってしまったものが多すぎる。

まだ、間に合うかな。取り戻せるかな。新しくつかまえられるかな。リセットして、からっぽになって、真っ白にして、そこに見える景色を語れたら、また、歩いてもいいですか。紡いでもいいですか。

うつくしいものにふれたい、だいすきにかこまれたい。