声にならない声を聴かせてよ
なんだかもうどうにもこうにもならないので、すべてを放り出して1ヶ月ほど帰省して療養します。
明日迎えに来てもらう。
だいぶ治ったんだけれど、じんましんがほんとうにひどかったり、リウマチの疑いをかけたりと不具合が相次いでいるので。
自己免疫系よわい。
責任感のかたまりというか、わたしから責任感をとったら何が残るんだろう(言い過ぎ)というような人間なので、こういう選択をとれるとはおもっていなかった。
でも案外あっさり決めたので自分でも気付かないうちに、だいぶ追い詰められていたのかな。
バイトやらサークルやら、まだちゃんとしなきゃいけないことはいくつかあるけれど、それらもわりとあっさり片付いて、わたしがいなくても世界はきちんと回るようにできているんだなぁとなぜか安心した。
高3以来こういう風になってしまうことがあって、そのたびわたしは強く守られている、と感じる。
帰る場所がある、ということ。
逃げる場所がある、と。
同時に、もう20歳なのに、って情けなくもなる。
社会に出ていく自信もうしなう。
でも、どうしようもない。
身体的な症状のせいで、どんどん生きるエネルギーが減っていってしまうんだもの。
どんなに検査をしても原因は出てこない。
だいたいたぶんストレス、とか。
本来なら自浄できるはずのものを、濾過することができなくなって、どんどん自分の毒に溺れてく。
自分でコントロールできない分、自傷行為よりタチがわるい、ね。
自分で自分を殺してしまう、というおかあさんのことばは、きっと、だから多分ただしい。
そうなってしまったら、すべてを放り出すしかない。
きれいなものを見て、おいしいものを食べて、やわらかく丁寧に暮らすしか。
わたしは元々そうやって生きたい人間であるはずなのに、知らぬ間にたくさんたくさん背負ってしまう。
だから放り出すために帰る。旅に出る。
元気になるために。
その繰り返し。
このきっかけがもし、きちんと中2で発症できなかった中2病にあるのだとしたら、それは致し方ないことだ。
あのとき我が家にはあれ以上のネガティブを抱える余裕はなかったし、あのときわたしが健やかだったから我が家はいまも成立しているのだ、思い上がりかもしれないけれど。
迷惑や心配をかけるべきときにそれができなかったから、いまさらやってきてるのかな、ともおもう。
すべては済んだこと。
いまは自分が元気になること、を、考えよう。