空白

そこに描き出すしかないのだもの。

花の名前をひとつ忘れて

くるりの春風聴いてたら泣けてしまうのはなぜだ…。

家庭教師先でちらし寿司をいただきました。
桜でんぶもきちんと散らしてあって、焼き穴子が香ばしく、きちんと筋取りをした絹さやと金糸玉子が鮮やかな、すてきな晩ご飯でした。
きちんとお茶を入れて食べようと思ってたんだけど、ぱぱって食べちゃった…よくない。
でも朝のバイト先で桃のロールケーキもらえたし、すごくしあわせ。3月3日は桃の節句!
毎日を大事に生きたいです。せっかく季節が美しく移ろいゆく国に生まれたのだから。
白湯の甘みを感じられるように。

後輩の卒業式には結局行きませんでした。
時間の都合、というのは所詮言い訳にすぎなくて、結局こわかったんだろうなぁ。
わたしはもうそこに必要ないのだという事実を改めて突きつけられるのが。

旅行は、なんていうか、すごかった!
直島に行ってきたのです。
行く前は気まずかったし、岡山から宇野に行くまでの電車もぎくしゃくしていたのに、フェリーに乗る頃にはすっかり打ち解けていました。
心配してくれてありがとう。
B型2人なので、1週間も寝たら悪いことは消えているのです。
使い切れなかった使い捨てカメラは、京都で使い切ろう。これからはデジカメ忘れない。
割とおおきな島なんだけれど、アートスペースとして発展させているのは歩いて回れる距離です。
1泊2日で1日目にベネッセミュージアム、2日目に地中美術館、家プロジェクトを訪れました。
予算は広島からの往復の交通費込みで2万円ちょうどくらい。
さすがにベネッセハウスにも、パオにも泊まれないですが、充分楽しめたよ。
わたしたちが泊まったのは素泊まりでペア料金で8000円のところ。
向かいにある観光地値段のお好み焼き屋さんで夕食を食べたのだけど、旅の空気と、すこしのアルコールで普段よりさらに饒舌になって楽しかったなー。

以下、ひたすらじぶんのための備忘録。

*1日目
16時チェックイン。
泊まるところに着いたら荷物を置いて、ベネッセミュージアムへ。
黄色いかぼちゃにテンションが上がる。
いきなり無造作にジャコメッティの本物がおいてあるのだからすごい。
ナム・ジュン・パイクがもう終わっちゃってて、ファンらしい連れ添いの人に申し訳ない。
個人的には「雑草」と、「ザ・ワールド・フラッグ・アント・ファーム」におなじ作者の「バンザイ」がおもしろかった。
すべての終わりに「100生きて死ね」があるのも圧巻。あの前で死にたい。
LIVE AND LIVE.LOVE AND LIVE.
KILL AND LIVEを隠さない潔さ、EAT AND LIVE ではなく、EAT AND DIEを主張するまっとうさ。
あの作品を鑑賞するわたしたちもまた、LIVEとDIEを繰り返している。
文化大混浴を訪れてこの日はおわり。島のパワースポットだけあって、無意識に鳥肌。
21時までということだったけど19時過ぎには帰ったかな?それでもライトアップされたかぼちゃも見れてしあわせ。

*2日目
10時チェックアウト。岡山で買っていたマネケンのベルギーワッフルを食べる。
大家さん?が送ってくれるというので、お言葉に甘えて赤いfitに乗せてもらい地中美術館へ。なにかと送迎に縁のあるわたし。
ああ、わたしはここが好きだな、とおもう。
平日ということもあって、モネを独り占めできてしまった。泣くかと思った。
タレルの光の芸術はどこまでも深くて、つかめなくて、でもずっと眺めていたい。
ことばが足りない。いま思い出しながら打って、またぞくぞくする。ある種のエクスタシーがそこには在る。
そして、ウォルター・デ・マリア「タイム/タイムレス/ノータイム」。
ここだけは、2回行かせてもらった。違う時間の異なる表情が見たくて。
いくらでもいられてしまう。時間という概念を軽々と越えてしまうから。
上手い具合に団体さんともかぶらなくって、ほんとうに贅沢した気分。
茨木のり子のことばを借りるなら「心がぱさぱさに乾いて」いるときだったから、どこまでも染みこむ。そうだ、わたしは、こんな世界をあいして、あいして、求めていたんだ。

2時間ほどかけて満喫したあと、町営バスに乗って家プロジェクトへ。
おなかがすいていたので降りてすぐのうどん屋さんに入ったけれど、うーん…。安かったからいいか。
それよりも、一本路地を入ったところの空き缶アートがすごくかわいかった。ポストカード買っちゃったもの。空き缶のプルタブを取って、飲み口を下にすると顔に見えるんだよ。
家プロジェクトは共通チケットがぜったいおすすめ。ワンサイトで400円、6こ全部みても1000円。
南寺から回るといいよと教えてもらって行く。ここが一番好きだったかな。好きというより、衝撃的。この1日でタレルと安藤忠雄のファンになってしまった。
あーでも、どこもよかったなぁ。
角屋は刻一刻と移り変わる数字、護王神社は一度しんだ神社に与えられたあたらしいいのち、石橋の流れ行く淡色の美、碁会所のつばきもはいしゃのどうしようもない感じも。
碁会所、木彫りのつばきが散らしてあるの。左右対称の茶室が2つあって、片方が贅の美、片方が寂の美。そして真ん中にほんもの。写真撮りたかった。
一緒に行った人ははいしゃがおきにいりだったみたい。もうね、くだんないとしか言えない。そのくだらなさがアート。
「自分の宇宙を自分なりに吐き出せばいい」って、なるほどなぁ。
彼は描く人で、わたしは書く人だから、自分の創作したものとの距離感とか愛着とか全然違うんだけど、でも、アウトプットで生きている人間には違いはなくて、そういう人種にとって、この島は、呼吸の仕方をもう一度思い出すための場所なのかもしれない。
宮浦港まで歩いて、はいしゃをデザインしたのと同じ人の手によるこれまたくだらない、(しかもさらにちょっとアングラの)銭湯に入って、赤いかぼちゃの前で写真を撮っておしまい。
ツーショットは傷つくためではなく、微笑むために撮るのだと。
すごくいい旅でした!ぜひまた行きたいです。
15日からのぶらり京都ひとり旅も楽しみだな。デジカメ…。