読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

空白

そこに描き出すしかないのだもの。

響くようなメーデー

およそ半年。なんてこと。半年だって。

綴らずして生きていくことなどできないような気がしていたのに、そんなことはなくて。なんて酷薄な生き物なのだろう。

言葉として、文字として、残してゆく、記録してゆくことの重みを、忘れてしまったわけではないのだけれど、そのゆとりがなかったとしか。しかし、ゆとりはつくるものなのだともおもうし。

人は忘れてしまう。だからこそ、留めておかねばならないとわかっていたはずなのに。

忘れることを、どこかで期待していた面も、あるのかもしれない。何も、どれも、忘れられずにいる。

それなりに、傷ついていた、いや、いるのだろう。ここさいきん、ずっと、どこかがかなしい。

 

こういうことは時系列で書くのがたいせつだとおもっている。

整理するために。

 

昨年9月、上司が替わった。11月、12月と時節柄いろいろと積み重なって、できることをできるなりにしようと頑張って、でもできないことも当然あって、入社して初めての訂正なんかも出してしまって落ち込んで、そういったことをその上司に相談したりしていたうち、なんだか少し変な風に好意を持たれてしまった。

上司、50代妻子持ち、感情の起伏が非常に激しいひとである。

12月、休刊日にお寿司を食べにいこうと誘われ、お酒を飲んで、それなりにたのしく過ごす。

誕生日に、ティファニーのネックレスをいただく。ちょっと理解の範疇を越える、が、amazonで通販したものを箱ごと渡されてしまったような避けられない状況だったので、モノには罪はない、の精神で乗り切る。

クリスマスのころにはワインをもらう。

大晦日、おそばを食べて、神社に行く。

年明け1月、年末いろいろなものをもらいすぎたので、あくまで上司と部下の関係なのだとコーヒーと焼き菓子をお年賀としてお渡しする。

ポエムなメールが届く。酔って「じゅびりーがかわいく思えて」的なことを言われ、必死で「福山にも娘ができたと思ってください」とかてきとうなことを言う。

香川にうどんを食べにいこうと誘われ、さすがに、あ、これあかんやつ、と思い、支社内の年齢の近い先輩たちに相談する。

社内に知れ渡る。

お付き合いもしていないのにお別れのようなメールが届く。

なぜか外野の方が盛り上がり、対応を間違えたんじゃないかとすこし落ち込む。

2月。なおもややポエムなメールは続く。

このころから諦観の境地に入ると同時に「感情とは何か」ということを考える。

個別的な、あまりに個別的なものを、正悪の観点から把捉し、断じることはできない。

「感情はままならない」というところにすべてを帰着させようとする。

そして2月下旬、「じゅびりーに言いよる上司はくそやろう」的な内容の怪文書が一部で出回る。

 

うつくしくない感情を向けられて弱っていたら、恐らく小学校以来ぶりにインフルエンザになりました。

火曜の出勤中に発症し、水曜はスクラップになり、金曜に熱が引いた。

おとなになって体調くずすとほんとにきつい。働き始めてこんなにがっつり風邪ひいたの初めてだけど、すべては上述のトラブルが根源な気がしている。

休んでいるときに限ってほんものの大きい事件があったり、小学校の校庭で拳銃の銃弾のようなものが見つかったりと、申し訳なさすぎるのだけど、ちょっとだれか福山のひとお祓いにいったほうがいい。

ちなみにわたしこっちに来てからだいたい年1回ペースでこういう発生があるけれど、毎回出勤していないときなので引きがいい。あるいは日ごろの行いがいい。

怪文書の件は、知らずに生きていくことも出来たのに、そういうものが存在することを上司自らが教えてくださるのでぼくはわたしは。あなたの胸にとどめていてくれたら、わたしは墨をのんだような気持ちにならずに済んだのに。

それなりにおおきい問題になっているはずなのに、会社からすくなくともわたし側への接触はなくて、ああ、やっぱり結局だれも守ってくれないんだな、という現実。

すべてを正直に話せていた先輩との信頼関係も、その上司が行ったわたしへの不要な配慮に満ちた不当な配置換えで揺らいでいる。ほんとに、もう。なにもうまくゆかない。

さいわいなるかな、この土日までお休みなので、できうるかぎり外界との接触を断って、なんとかすこしずつ立て直している。

震災から5年、をやらないといけないのだけど、取材不足の感は否めないのだけど、復帰したらなんとかしないといけないな。

傷ついてばかりはいられない。

わたしが真に傷つけられたり、損なわれたりするとしたら、面と向かってわたしの尊厳を踏みにじられたときか、わたしの存在によってだれかのいのちが失われるときだとおもっている。それ以外のことによって、背負うべきでない十字架を持つことはない。

そう信じてやりたい。

だれに話したらいいか分からなくなって、そのあたりも迷走の原因ではあったのだけど、なにがあってもわたしの味方であってくれるひとたち、というのが(すくなくとも社外には)いることは確認できたので、そのひとたちのためにも、前を向くのだ。

あすは、部屋を片付けよう。新しい日々はつづく。

短歌をまた、始めたいな、とおもっている。