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空白

そこに描き出すしかないのだもの。

踊るしかないや夜明けまで

秋などという美しい季節だ。

きょうはスーパームーンとかで、なんとなくゆるやかに身体が重たいのはおそらくそのせい。恋人はまったく分からない、というけれど、月の満ち欠けと身体の調子が連携しているのはきっと女性なら誰しもすこしは経験したことがあるとおもう。

 

さて、読書の秋ということで(季節関係なく読んでいるほうではあるけれど)もうかれこれ8年使っているオンラインの読書記録を振り返ってみたらとてもたのしかった。

そこに来てこの話題だったので乗っかってみる。

ずっと短編が苦手だと言っているのでいい加減読むのをやめたらいいね…でもすきな作家は全制覇したいタイプなので律儀に手に取っているのであった。

別のところでも書いたけれど、わたしは本の内容から何かを得ようというタイプではないので、自分の好みの言葉の連なり、ストラクチャを自分のあたまの中の引き出しに補充するために読んでいる。

しばらく読んでいないとほんとうにかつえるのだから困る。

だから詩人、例えば茨木のり子(『倚りからず』)、谷川俊太郎(『二十億光年の孤独』)なんていうのも好んで読む。

敬愛する江國香織(『ホリー・ガーデン』『神様のボート』『きらきらひかる』)やよしもとばなな(『キッチン』)あるいは恩田陸(『麦の海に沈む果実』など理瀬シリーズ、『蒲公英草紙』など常野物語シリーズ)、はたまた村上春樹(『ノルウェイの森』『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』)なんてそこから何を学べというのだろう、と思わないでもない。

それでもそこに宿る息づかいが、言葉が、わたしの血肉となっているのだ。

 

そういった中にあって金城一紀『GO』)、パウロ・コエーリョ(『ベロニカは死ぬことにした』)に関しては、掛け値なしに、影響を受けた、と言えるかもしれない。思春期ただ中に読んだのもよかった。生まれながらに背負うもの、それはきっと彼や彼女だけのものではなく、普遍的な枷であって、それを受け入れ、乗りこえる過程から、陳腐な言葉だけれど、勇気をもらった。

最近の話だと羽海野チカ(『3月のライオン』)の新作は圧巻だった。なぜこれが青年誌に掲載されているかがよく分かる。『ハチミツとクローバー』にしてもそうだけれど、生きるということを描く物語は凄絶で、そして美しい。だれかの生き方を飲み込む覚悟はなかなかにくるしい。それだけの覚悟をもって読まねばならない本や漫画に出会えることは、きっと生きる喜びでもあると思う。

 

働き始めてからは特に、読みあさる、ということは出来ていないのだけれど、読んできたもの以上のものは書けない、という信条は変わらない。

大切なのはおそらく、自分で自分を律し続けることだ(それが何より難しい)。

幸いにも書くことを日常とする仕事につけている。なにがうれしい、って、わたしの言葉のファンだ、と言ってもらうことのほかにない。

このあまりに小さな手のひらで、わたしはすこしでも、その人の、その土地に暮らす人々の想いを、救えて、掬えているだろうか。問うこと、そしてすくえなかったものを悔やむことをわすれないでいたい。

 

 ぜんぜん1冊じゃないなこれ。

 

今週のお題「人生に影響を与えた1冊」