ここにいる抱き合いたいここにいる
福山に来てちょうど1年。
わたしは成長できている?分からない。
強く(つまりは鈍感に)なった気は、とてもするのだ。
あしたからは後輩もできる。
ちょっといやな出来事があって、きのうの夜から岡山に帰って恋人に存分に甘やかされてきた。
このまちのことを嫌いではまったくない、でも、失いたくないとおもうほど大切な人には出会えていない。
このまちは、わたしのまちではない、という、岡山に帰ったとき、福山に戻ったとき、去来する気持ち。
さみしさ、愛しさ、依存心はぐんぐんと育つ。厄介だ。
いつ、一緒に暮らせるようになるかなあ。
信頼、信用を裏切られるととてもかなしい。
怒りという感情が基本的に欠落しているので、それに通じるのであろう、ネガティブに針が振れる出来事があると、悲しみが先立つ。
わたしは信じて、いたのに。
「女」を使って働くことをしないのはわたしの矜持であるのに、それを踏みにじられたようで。
でもまあ2年、この業界で働いていると割り切るとか、諦めるとかはうまくなる。
それがいいのかどうかは、やっぱりよく分からない。
いま一緒に働いているひとは、すごく怒りの感情がつよくて、そのエネルギーにぶつかるたびにとても消耗してしまう。
理由としてはまっとうだとも思うし、その感情を抱くのは仕方ないのだと理解はできるが、大人なんだから我慢しなよ、と半ば白々しく、呆れてしまう。
他人への怒りで、わたしまで嫌な気持ちにさせられたり傷つけられたりする必要は、きっとない、よなあ。
あしたからの仕事のことを考えるとゆううつしか生まれない。
どんなときでも、どんな状況でも、やるべきことは、やらなければいけないんだよ、大人なんだから。「やりたくないから、やらない」は許されてはいけない。
「小さいおうち」を観ている。こういう安らかな邦画を映画館で観ようとは思わないけれど、いいものだ。
黒木華かわいい。
本を読んだり、文章を書いたりするエネルギーがなかなか出てこない。
実は週末に締め切りを控えていて、困ったな。5千字だ。
スタンダードが400字、長くて750字の日々を過ごしている、ので。
集中力が落ちていれば語彙も失われていて、かなしみ。
リハビリをかねて、散文を書き散らかす。