それはすべて永遠のため未来の向こうへ行くため
気付けば24歳になっていました。はにゃあ。
ブログ形式での記述を始めておそらく10年です。信じられん!
10年ひと昔とはよく言ったもので、mac book airを愛機にしているなんて思ってもいなかったよ。当たり前か。
相も変わらず書くことは大好きです。それはうれしいこと。手放さずにいられたこと。
何度も書いているように、インプット量の減少に伴うアウトプットのクオリティの低下はすごい。ほかの誰にも分からなくても、わたしにはごまかせない。あと当然、書く量も減っている。お仕事は別にして。
10年前のわたしはとても欲張りで、バスクラリネットも書道も捨てることができなくて、1日が24時間しかないのがもどかしくて仕方なかったなあ。
今はだいたい1日平均12時間くらい働いているけれど、早く過ぎないかな、っておもっているのだからゲンキンなものです。
この1年は、社会人2年生ということで、お尻に殻をくっつけたまま独り立ちさせられて、それはすこしかなしかった。
でもほんとの意味でのお別れなんて、世の中そんなにないのですよ。
その気になれば取り戻せるものばかり。バスクラもお習字も、たぶんわたしは心のどこかで諦めていない。
すこし立ち止まったり遊んだりする余裕も出てきた。それくらいじゃないと、やってられない。欲張りは、本質的なところでは変化、していない。
おととい仕事納めで、開放感に浸っていたら変な話だけれど、うっかり普段抑圧していた様々、無気力、絶望、怠惰、そういったものまで解放してしまったみたいで、久しぶりに「今ならいける!」ってレベルでネガティブフェーズに落下して、じぶんのことながらうまくついていけなくてびっくりした。
昨日の午前中まで引きずって、ようやく社会復帰。今年も生徒会の忘年会に参加できた。
彼氏の家に泊まって、めずらしくラボの見学をさせてもらって、弟に迎えにきてもらって実家。犬がかわいいので世界は今日も平和。
弟と2人で年越しだよ〜。
元日には福山に戻り、2日はおしごと。3、4日はお休みをもらって、吹奏楽のOB会のためにまた戻ってきます。
帰る場所があることのありがたみはやっぱり社会人になってからのほうが感じるし、呼んでもらえるというのはうれしい。
わたしは軸足をどこに置くか、をはやい段階で決めてしまっているから、葛藤、が生じないのだとおもう。居心地がいいところにしか行かないし、都合のいいことしか愛せない。
極端な話、実家に帰ってもいかに父親と顔を合わさないかはかなり徹底している。大学時代から変わらない。
2013年の1月に祖母が亡くなって、2014年の4月に祖父がいなくなってしまった。
一番大きなお別れは、それだ。鳥取のお家が、なくなってしまった。
生死に関わることについてはできるだけ心を閉じるようにしている。
それがいいことだとは思わない。いつか、真正面から向き合えるようになればいい。
母親がいなくなるのは、まだまだ、耐えられないなあ。
来年の目標はとりあえず痩せることです。今年の頭もそんなことを考えていたような気がする。あと年間80冊は本を読みたい。
勢いに身を任せる。人には自恃があればよい。
よいお年を!
ー今週のお題「2014年のお別れ」〈2014年をふりかえる 3〉