いつまでも人は迷路のように 心の中に闇をもって
ひさしぶりのお休みだというのにおなかの調子がわるい。
このあと休日出勤して遊園地にイルミネーションの撮影(ひとりで!)行かないといけないのに・・・。
衆院が解散してしまった〜。
「能楽」をテーマに5回連載を持たせてもらって、それなりにかたちになってようやく安堵した、とおもったらこれだ!
働いても働いてもお仕事が降ってくるというか、選挙に人員を割かなければいけないぶんルーティンの紙面に空白を作らないようしないといけないというか。
と同時に、心穏やかに年末年始を迎えるためのストック原稿もつくらないといけないので、年内いっぱいは身動きとれない。
この前の三連休でだいすきな先輩と小旅行できてよかったな。
師走を駆け抜けろ〜。
お給料もお休みもないけれど、尊敬できる先輩(40歳)がそれを当たり前のように働いていてあんまりかっこいいので、23歳の若者が弱音を吐く気にはなれないのだった。
別に仕事の向き不向きとか考えないし、やりがいとかいうのもよく分からないけれど、働かないと生きてはいけないし、好きか嫌いかといえば、少なくともやめたいとは考えたことがないので、嫌いではないんだろう。
記事を読む前と読んだ後では、見る世界がほんの少しいいものになっていればいいなあなんてユートピアみたいなことを考えたりは時々するけれど。
大きすぎるものには興味(期待と置き換えてもいいかもしれない)を抱けないので、地方紙の記者になったのだけれど、この国には地方と首都圏の二項対立が厳然とある以上、わたしの愛する地域に暮らす人たちが生きやすくなるためにはトップダウンで変えていかなければならないのだ、大きなものも大切なのだとじぶんに言い聞かせてみたりする。最初はほんとになんのためにするのか、さっぱり理解できなくて動けなかった。
納得しないと動けないのはわたしのいけないところではあるけれど、変えられる気はしない(し、変える気持ちもあんまりない)。
じぶんが咀嚼して昇華して、その先に、言葉は在るんだ。
でもまあ本が読めなくなっているし、歌詞のある曲が聴けなくなっているので、それなりに疲れてはいるんだろうなあとおもう。精神的なほう。
チャイコフスキーうつくしすぎる。冬の寒さと強靭さ。
すきな季節だ。がんばろう。
恋人とは相変わらず過不足のない日々をすごしている。
彼も彼で来月初旬におおきな試験があるので、お互いこの1ヶ月ほどは勝負の期間。
今月あたまに友人の結婚式に参加してきたけれど、初めて行ったときとちがって今回はそんなに結婚式したい〜!とはならなかった。とりあえずごはんは大事だな、とおもった。
これが終わったら、USJかディズニーに行きたい、という、現実逃避。