雨は空から落ちて すべてを濡らしていった
3月も終わりゆく。
環境の変化というのがどうも苦手だ。
感情のコントロールがいつにも増してうまくいかなくなる、。
ずっととなりにいてくれた人とすこし離れてしまったので、その距離のぶんだけ、呼吸がしづらくなる。
福山は、わるくない。
それなりにほめられたり怒られたりしながら、それなりにたのしく過ごしている。
ただ、わたしの愛する街ではないのだということ。
愛するひとたちとちょっとだけ離れた場所なのだということ。
その土地で暮らすひとたちの営みがあるかぎり、わたしのおしごとは存在するし、その土地を愛さずして、できるお仕事ではないともおもう。
おしごとだから、と割り切れる部分はおおくある。
ただ、仕事以外で人と話す機会はほとんどないので、それはさみしい。
普通の社会人ってこういうものなのかなあ。
去年の6月に1人暮らしを再開してから、半同棲みたいな状態がつづいていたのでちょっとよく、わかんないや。
それでも隔週で会ってくれていて、2人で過ごしたあとの1人のごはんの寂寞というか寂寥がすごくてびっくりする。
今週末は近場に1泊するというぜいたくな旅行をして楽しんでしまった。
以前おつきあいをしていた人と旅行に行っておだやかにすごせた試しがないので、いまだに驚いてしまう。
なんだかんだ言いながら1年半の交際で、コンスタントに半年に1度は1泊程度の旅行に行けているのですばらしい。
昨年はわたしの卒業旅行だったので2泊3日でディズニーというスペシャルコースだったけれど。
昨年の1月に祖母が亡くなり、今月後半から、祖父の容態がよくないという。
ああだこうだと理由をつけながら、彼らは、お互いがお互いを必要としてやまないのだろう。
いつかは来るものだとわかってはいても、愛着のある、鳥取という土地の、変えるべき場所がなくなってしまう別れはさみしいな。
1日1日、すこしずつちいさな覚悟をする。
母方の家庭は仲がいいので、三姉妹で、正しい量だけ傷ついて、正しい道程で立ち直るだろうと、あまり心配しないことにする。
あまりに唐突だけれど、そう遠くないことだと、知っていたような気もするのだ。