誰の体もいつかはなくなって永遠はないのだろう
入社してもうすぐ半年。
思っていた、想像していた、覚悟していた以上に過酷だ。
じぶんの未熟さ、無能力を嘆く日々。
1年かけて元気になったつもりでいたんだけどなあ。
すぐに弱くなってしまって、情けない。
結局一番避けたかった部署になってしまい、
実家から車で20分くらいのところに一人暮らししています。
だいたい8時-22時で働いている。
遅いときは日をまたぐことも。
夜間の呼び出しも。
今日なんかはお泊まり。
一生出来るかな、なんてことを考える余裕すら、まだない。
こんなときいつも考えるのは、バスクラを吹きたいな、ということ。
取材で学校を訪れることが何度かあって、その都度そこに流れる時間に、ぎゅっと心臓をつかまれたようになってしまう。
あまりに圧倒的な、幸福な、あの6年間。
そのときいつも、隣にいてくれたバスクラリネット。
才能なんてかけらもないけれど、手放せずにいたもの。
あふれる。こぼれる。
また日常として吹ける日は、いつかなあ。
先週の土日はそんなお仕事の合間をぬって(非常に重たい社用PCを彼氏に搬送させて非常に申し訳なかった)アジカン10周年ファン感謝祭に行ってきました。
すごくよかった!
でも久しぶりに長い時間2人で外で過ごした割にはコンサート以外はなにもできなくて、ホテルもちょっとグレードが低いのにしちゃっていたので不完全燃焼な感じが残ってしまったのが残念。
いつ死んでもおかしくないくらい弱っていたので、岡山に帰ってきてからぐずぐず泣いてしまった。
週の後半にもなると帰りの車の中で号泣してしまったりするくらいには、まだお仕事に慣れていないです。
ほんとうに慣れる気があるのか、というところは別にして。
あと家族のことでも、気持ちがすっきりしないことを7月以来ずっと抱えていなくちゃいけなくて、それもあってしんどいのかもしれない。
なんというか自分のことを客観視できないのだ。
余裕がない、というのはよくわかっている。
ただ何がつらいとか苦しいとかそういうのはあんまりなくて、いやだなあって思うことはあるけれど、会社の先輩はみんなすごく優しいので、何をどうしてほしいとかわからないし、何がどうなれば解決するとかもさっぱり見えてこない。
ただ目の前の日々をこなすことに必死。
毎日を生きるということ、毎日働くということがこんなに大変だとは。
乱れきった食生活のためか肌荒れがひどいので皮膚科にいきたいです。
社内でカウンセリングっぽいことは3回くらい受けてるけれどそれによってらくになったりしてるかとかも、ちょっとよくわからない。
とりあえず、音楽がほしい。活字がほしい。