空白

そこに描き出すしかないのだもの。

何かに笑って何かで怒ってたまに泣いてんだ

1月19日に祖母が息を引き取った。
昨年のこの時期に肺がんがわかって、次々といろいろな合併症に見舞われて、とても痛くてつらくてくるしそうで、だから、もうしんどくないね、という気持ちのほうが強い。
母は自分の親なので、病気がわかって以来、毎週のように隣県にある実家に帰っていた。
わたしもできるだけついていっていたつもりだけれど、ここを読み返していて、あまりの自己中心具合に落ち込む。ああ、わたしはいつも、わたしのことばかりだ。

彼氏とお昼ごはんを食べて、2月10日にある演奏会のための打ち合わせをしているときに、電話が鳴った。
もう会えないのだということは、頭ではわかっていても、実感はわかない。存在の空白に慣れることはない。
わたしも弟も、身近な人の死というのをこれまで経験して来なかったので、特に弟は、今回のことで相当消耗している。
18歳で、社会人1年生で、知らない土地で一人暮らしをしているときに起こった出来事なら、それは当然だと思う。
お葬式で、声を上げて泣きじゃくる弟は、どんなに身体が大きくなっても、小学生の時と、何一つ変わりなかった。
今のわたしも弟も、おばあちゃんがいてくれたから、いる。
褒めたり甘えさせたりが苦手な両親の代わりに、いつも抱きしめてくれた。
あったかかった。でも、あの日のおばあちゃんは、今まで触れたどんなものより冷たかった。
もっとあれもしてあげたかった、これもしてあげたかったっていう後悔は、どんなにしたってあるものだとおもう。
だけど、遺された者は、それも抱えて、その分まで生きるしかないのだ。笑ってやるしかないのだ。

特に何か予感があったわけではないのだけど、卒論は17日の時点で、一応の完成にたどり着いていた。
おばあちゃんは見ていてくれたんだろう。
向こうにいる間、わたしはしっかりしていなくちゃいけない役回りで、ずっと嗚咽を飲み込んでいて、こっちに帰ってきてから、抱きしめてもらって、わんわんと泣いた。
大丈夫大丈夫と、頭を撫でてくれた。
安心をくれる。ぬくもりをくれる。
ほしいを、くれる。
平均的な寿命ではあるし、心の準備もしていたし、特別におばあちゃんっ子というわけではなかったので、一般的な祖母の死、というものだとはおもうのだけど、その中にも、個別的な想いや思い出は、数えきれないので、そういうのが寄せては返す度、鼻の奥がつん、となる。

わたしたちはほうっておいても死に向かって歩いている。
生きなくては。生き続けなくては。