空白

そこに描き出すしかないのだもの。

星降る夜二人でおとぎ話作ろう

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

卒論を進めなければいけないのだけど、というか終わらせなければならないのだけど、年末年始現実的なことにかまけていたら心がすっかり卒論から離れてしまっていて、すっかり論文の書き方を忘れてしまってすごく困っている。
年末少し書ける波がやってきたのに、そのときつかみそこねてしまった。
仲良しの先輩と話したのではないけれど、言葉が伝わらないことがないと、言葉を尽くす能力が下がってしまうのだと思う。
わかってくれるんだもん。伝わってしまうんだもん。
あと哲学とか思索とかそういった全般のことに距離をおく姿勢が常態化してしまったのもよくない。とても現実的な人間になっている。あと3ヶ月はやいよ。

「できないけれどがんばる自分」をあたかも美談のように語るのがとてもきらいだ。
そして教育畑の人間は、そういう人に対してとてもやさしい。奇妙なやさしさ。奇妙なぬくもり。きもちわるい。
つらいのはしんどいのはくるしいのは、だれでも一緒だろう。
共同生活や団体行動の場で、それを他人に背負わすことはうつくしくもなんともない。
その重みの苦しさは、どこに投げ捨てればいいというの。負の連鎖だ。
わたしが幼いだけなのだろうか。偏狭なだけなのだろうか。
吹奏楽でもオケでもそういう人がいて、「それでも頑張ってます」、は勝手にすればいい。
でも勝手にするなら、最後まで黙っていてほしいのだ。もしくは、しないでほしい。
いいとこどりだけするの、ずるいよ。まったく。

「この人は本当のことを言われるのにとても弱いな」というのは何度か感じたことだった。
ほんとうのことを言うのは、真剣に向き合っているからだというのに、「そんなのは言われなくてもわかっている」と、駄々っ子のように、耳を塞ぐ。
傷ついたことはあるのだろうけれど、学習はしていない。
痛みから逃げ続けているのだから。
痛みを痛みとしてきちんと受け止めるのは大変な作業だけれど、いつかはしなければならないことだ。次第に傷は、膿んでいく。いつか取り返しのつかないことになる。その前に。

相変わらず愛されている。3ヶ月。
自分で自分を大切にするという思想がとても苦手なのだけれど、他者の他者である自分はつまり、大切なひとの大切な人であるらしく、ならば大切にしなければならないのだろう。
人のものを傷つけてはならないというのは、わかりやすくていい。人のものとしての、所有されるものとしての安心感。居場所があるということ。定住できるということ。
2012年は動く年だったので、2013年は安定を意識したい。

変わることを恐れないこと。
変わらないことを慈しむこと。
楽しむことを忘れないこと。