空白

そこに描き出すしかないのだもの。

正直なざらざらの世界へ

7月後半から8月前半のつぶやきをまとめる。
疲れた…。言葉溢れすぎだろう。
そんなに特定の誰かと話したい欲求はないんだけれど、聞き耳を立ててくれている人がわかっている場で好き勝手つらつら喋っていろんな思考の破片を拾っていく作業がすきなので、たぶんついったというツールとわたしの思考の方式やスピードはすごく相性がいい。

知らない間にじゅげむの広告表示が45日になっていた。
長い文章は書いていないと書けなくなるとおもうのでこっちもがんばろう。がんばる。る。
卒論?なにそれおいしい?

7月あまりに怠惰に過ごしすぎてひどい鬱になったので(前回更新参照)、新しいバイトを探し、わたしの一日をたたき売りしたところ案外簡単に完売した上犬が病気になり(だいぶよくなったけれど)鬱になる暇もない理想的な8月を過ごせています。9月も大概予定が詰まっていて、性格も生活も中庸というのがないなわたしは!

マスコミ就活のセミナーで講師をしたのを皮切りに、母校の野球の試合を観に行ったり、元彼と同級生と3人で飲みに行ったり、せんせいとサシで飲んで緊張でたいへんなことになったり、神戸観光したり、親友とお茶したり、部活のOB会に顔出したり、鳥取行ったり、美術館を冷やかしたり、お祭り行ったり、友達とご飯食べたりお買い物したりしてたらあっという間の日々でした。
しかもその隙間に犬を病院に連れて行ったり、働いたりしているので(バイトの隙間にこれらの予定を入れているのかもしれないけれど)、そりゃ充実しているはずだ。
日々を悔いなく生きているので、いつ死んでもいいけれど、明日も会いたい人がいるので、まだ死ねない。

反動形成的にメンタルが身体に現れるやつはあんまり具合よくないんだけど生活に支障をきたすほどではないのでまあいいか。
結局わたしもじぶんでじぶんを傷つけたい人間で、でもわたしの中の何かがそれを押し留めて、それでも深層心理が無意識に表面化してしまうので仕方がない。
何が満たされないのかはわからないし、そもそも満たされないことが原因でもないのかもしれない。
わたしはわたしのままで生きていくしかない。
岡山はそれでも呼吸しやすい土地なんだよ。

ただ、まだ足りないので、来月は新潟に行く。
遠くに、行かなきゃ。
ほんとは香川にも行きたかったんだけれど行けて倉敷かなあ。
関西に行けるかはすごく微妙なところ。
新しく始めたバイトが繁忙期の土日はほぼ入ってしまうし、塾のほうも気づいたら週4になっていて、お金はないよりあったほうがいいので働くのだけど、わたしは奔放にしか生きられないので、その時々のじぶんの「したい」をどうしても優先してしまって、手帳の白いスペースは近場の予定でどんどん埋もれてゆく。
それでもほんとうにほしいものはきちんと握り締めているので、握りしめられないものはほんとうにほしいものではないのかもしれないなんて考える。
不穏な考えには途中で楔を打ってしまいましょう。
たとえば大好きな音楽なんかで。

楽器を吹くと、すべてがどうでもよくなる。
繋ぎ止めてくれるものが、ここにあった。
音楽がしたい、と切に思う。
いっそ病的に、バスクラリネットという楽器を愛していることを再確認する日々。
来年の2月10日に演奏会があるので、それまでは定期的に楽器を触ることができるとおもうととてもうれしい。
完全に鈍っているので、楽器を吹くための身体づくりをしなくちゃ。
そのためにも、来年からのためにも、一にも、ニにも、体力である。
余計な力を抜いて。自然体で。

さあ、わらおう。
がんばるよ。