空白

そこに描き出すしかないのだもの。

ガラス玉ひとつ落とされた

くぐり抜けた門の驚くべき狭さに、通り抜けた後に気づいて目が眩む思いをするのは、人生二度目だ。
一度目は10年前、そして二度目は10年後。
そのキリの良さになんらかの符合を感じてしまうのは考えすぎだろう。日本の3・3・4学制によるものであるということはわかっている。
内定式というものに行ってきた。
書類に判をつき、これからの話をしてもらう。
どうやら夢でもわるい冗談でも何かのびっくりでもなかった、らしい。

同期は男の子2人であった。つまりわたしを加えて3人しかこの会社に今年入社することはできなかったのだ。
受験番号から推察するに、倍率は約100倍。
100人にひとり。
それが相場に比べてどうかということはよくわからないけれど、少なくとも決して多くはない数字だろう。
中学に合格した時とおなじ、蹴落としてしまった、という意味のわからない罪悪感に、苦しめられているというほどではないものの、悶々としている。
椅子取りゲームというものを、感覚的に受け入れることができないのだ。
やさしさでもなんでもなく、よわさだとおもう。
奪い取った場所で光を浴びる。
わたしにそんな資格があるの?わたし、なんかが?
でも確かに、選んでもらったのだ。その門の狭さに気づきもしないままに。
選ばれたことに誇りを持っていいし、その重さはわたしが背負わなければならないもので、選ばれなかったひとの分まで書いて、書いて、書かなければならない。いや、書きたい。

これからの10ヶ月は、ポケットを膨らますために使ってほしいと言われた。
身体中を、耳に、目にしよう。
どこからか授かった人よりわずかに鋭敏な五感を研ぎ澄ます訓練。
精神的な疲弊はわかっている。
しかしそれはわたしが超えなければならない壁だ。
じぶんの足で、歩いてゆこう。
走らなくてもいい。ただ、この軟弱な足の裏で「感じる」ことの必要をつよく意識している。その直観を、貫きたい。
その先にはきっと、懸念である体力もついてくるはずだから。

漫然と生きるのではなく、「小さな声」に耳を傾け、その声を論理的に伝えることのできる人間に。
語り部として、生きてゆく覚悟を。
自分の言葉を信じる。だれよりも、わたしが。
どんなことがあっても、わたしは、わたしだけは、言葉を、いや、わたしの言葉を、疑ったり裏切ったりしてはならない。
矜持を持って、書こう。語ろう。
何度でもこの日のことを、思い出したい。