空白

そこに描き出すしかないのだもの。

ねぇ優しさってなんだと思う

またてんかんの発作が原因の一端とされる悲惨な事故が引き起こされた。
わたしはそれを一概に「加害者がわるい」と断じることができない。
彼は、持病を原因に職探しにも苦労したのではないか。
やっと見つけた職場で、「できない」ということがどんなに勇気がいることだろう。
いままさに就職活動をしているわたしには、たとえ「健常者」である側のわたしでも、そのくるしみが手に取るようにわかってしまうのである。

中学時代からの、親しい友人に実際その病気を患う子がいるからかもしれない。
周囲に気を遣える子で、心配させないようにと言いふらすことはしない。
それでもわかってしまうものはわかってしまう。
しかし彼女はきちんと病院に通い、薬を飲み、休養をとってコントロールしてきた。
部活の幹部をしながら、一人暮らしだって営んでいる。
それなのに、なんで。
四文字の病名が、彼女の未来を妨げる。
かなしい、くやしい、やるせない。
なきそうだ。

加害者側の当事者ではないわたしたちは、そうでなくてよかったと胸を撫で下ろすだけでよいのか。
当然、被害者側の当事者でもないが、遺族の憤りは想像するだけであまりある。
「そうでない」側のわたしたちは、安穏と暮らすだけでよいのだろうか。
「そうでない」のは偶然だ。
「そうである」のだって偶然だ。
自分の、子どもが、孫が、「そうである」かもしれない。
今の社会で、「そうである」かもしれないいのちを孕む覚悟があるか。
少なくともいまのわたしには、ない。
しかしそれをすることが、母になるということなのだろう。
そしてこれから社会に出るわたしたちがするべきことは、「そうである」ことのリスクを少しでも軽減することではないだろうか。それが、「そうでない」側が背負うべきものなのだと思う。

こんなこと考えてるせいもあって、今日は全然就活に集中できていません…
ことばにできたらすこしすっきりしました。
読んでくれた人がいたなら、ありがとう。