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空白

そこに描き出すしかないのだもの。

五つの音の葉で表すんだ

昨日母校の定演のお手伝いに行ってきました。
去年も行ったから2回目。
去年と同じく花束や差し入れの受付担当だったんだけれど今年のほうが上手にできたよ。
来年は2月4日。就活中だろうけれどぜったい空けとこう。

自分が現役のときは、こんなに支えられてるなんて全然知らなかった。
それはそれでまったく構わないんだけれど、こうやって続いてくれるっていうのは、素敵だ。
先輩にかわいがってもらって、同級生に飲みに誘ってもらって、後輩に慕われる。
そういう場所があることは、ほんとうに奇蹟みたいなことで。
これからも、このつながりは、持ち続けていきたいなあ。
帰る場所がある、というしあわせ。
帰属意識、ということを考えるとき、真っ先に思い出すのは中高6年のことだ。
その中でできた友達、属した吹奏楽部、生徒会。
彼や彼女たちと会うとき、話すときの安心しきった感覚。
結局大学では、ほんのひとにぎりしかつくれなかった、そういう関係。
でも、かなしくないのは、こっちがあるから。

手放したものを悔やむことなんて滅多にない、でも吹奏楽だけは例外的に、手放してしまったことを後悔している、と言わざるを得ない。
鳥肌が立つぐらいに、まだ、好き、なんだ。
好きでいたいから、好きすぎたから、嫌いになりたくなくて距離を置いて、でもだめだった。
もう一度手を伸ばしたら、届くだろうか。手を伸ばすことを、許してくれるだろうか。
後輩たちのきらきらした姿に、涙がこぼれそうになった。
わたしが高校1年生だったとき、中学校に入学してはじめて楽器をさわった子達が、今年中心学年として、しっかり下を引っ張っていた。
こうやって、引き継がれているものが、たしかにある。
わたしには音楽の才能なんかないから、もう二度とあんな風には輝けないし、それは続けていたとしてもきっとそうだとおもう。
それでも、3年前、わたしはたしかにあそこにいて、あの日々に、今も救われている。
彼らは3年前のわたしたちなのだ。
贖罪のためなんかではないけれど、10年後、20年後も、この輝きを、支えていけたらいいなあ。
今年で第11回を数えた、母校の定演でした。

地震から、なんだかこころのどこかがやらかくなってしまっていて、眠れない夜が増えて、サークルをやめることにして、音感がおかしくなって、なんだかいろいろ、じぶん、ということについてかんがえてしまうけれど、わたしは多分、絶対、ここがある限り、みんながいる限り、大丈夫だとおもうんだ。
ありがとう。またね。