空白

そこに描き出すしかないのだもの。

アンコンディショナル・ラブ

きれいなものに触れていると、自分まできれいな生き物になれる気がする。
そんなことを考えながらぼんやりとハウルの動く城をながめている。
一人暮らしも二年を過ぎて我が城にもテレビがやってきた。新聞もとるようになった。
インターネットさえあれば、一通り情報網から振り落とされることはないけれど、それだけでは足りないものも多くある。
しかし情報が増えれば増えるほど現代社会の中に拘束されているような気がしてしまうのも否めない。のびやかに呼吸をしたい。

愛とか言う、やわらかな勘違いのなかで暮らしている。
彼氏のために他社ケータイまで契約してしまって、わたしは一体どうかしている。
愛しているという、愛されているという、甘い陶酔はやみつきにならずにはいられない。
わたしは両親の、無条件の肯定を受けて育ったという揺らぎない自信があって、彼氏にはそれがない。
それを不幸と名付けるのはおこがましいけれど、不遇ではあるとおもう。
生きてていいんだよ、とか、生きててほしいんだよ、とか、血の繋がりがない者が口にしたところで、所詮響かない。

最近勉強がたのしい。
哲学や倫理学は趣味で、理想論でしかないけれど、そんなことに本気になれるのが、大学生のいいところだ。
そして趣味が高じて留学まですることに。
うちお金ないのにお母さんが錬金術を使ってくれて泣ける。申し訳ない。たくさんたくさん、吸い込んでこよう。
ここを書きはじめたころのような、スポンジのような頭はもう持っていないけれど、上書き可能な不必要なデータが山積しているはずだから。
オンライン上で見る、後輩の活躍に触発されていないといったら嘘になりそう。
今も昔も変わらず、負けず嫌い。

音楽は相変わらず。変わらない相手に苛立つのはやめたいけれど無理だ。
過去の栄光(というほどのものでもないけれど)に縋るのは、格好悪いと思いながら、比較してしまう自分もいる。あと半年もない。留学して帰ってきたら3ヶ月ほどだ。
今年1年は、学年会全体が、忍耐の年。
このまま引退は腑に落ちないので、大変なのは承知で来年も頑張る。
同級生は好きだし、後輩はかわいいし。
先輩、と呼んでくれる後輩がひとりいればもっと頑張れるんだけど…とりあえずバスクラを吹かせてください。
楽器の調子が悪いらしく、バスクラ禁止令が出てるのが何よりつらい。
バスクラも後輩もなく、わたし、よくやってるなぁ。
中学時代からは考えられない。5年も経てば、少しは大人にもなる。

今週末、浴衣を着てお祭りに行く、かも。
補講が入っているけれど。
トラウマ、だなぁ、やっぱり。
行きたい。きちんと、うつくしい記憶を、うつくしい記憶として持っていたい。
たとえそれが、のちに悲しい思い出になってしまうとしても。
十代最後の夏が、過ぎてゆく。