空白

そこに描き出すしかないのだもの。

花咲くを待つ喜び

こんなに雪深い3月9日ははじめてじゃないかしら。
さむいです。バイトもサークルも休んじゃった。
12時間近く眠れて、びっくりしてしまったよ。
疲れていたのかなぁ。

3月6日に、彼氏のお母さんとお会いしてきました。
もう付き合って一年近いのだけど、向こうでは秘密というか、ご挨拶をしてからではないと付き合ってはいけないということになっていたらしいので。
結論から言うと、大賛成ではない(60パーセントくらい)けれど、お付き合いはしてもかまわないそうです。
ぜったい40パーセントの減点は緊張によるしゃべりすぎだとおもう…緊張するとかえって饒舌になって自分でどんどん墓穴を掘っていくタイプ。今回はぽろりはしていない、はず。
友達が単位はとれるよ!と言ってくれてうれしかった。
ただ、よくよく考えたお付き合いをしなさい、ということ。
何よりも成績を落とさない、外泊はもちろんだめ、門限はまもる、相手の子を(つまりわたしを)泣かさない。
あと、家に行かない。これはつらかった。たぶん、守らない。
お互いのプラスになる付き合い、ということで、あまり間違ったことをいわれているとは思わない。
わたしだって高めあえるほうがいい。
彼が恋をすると、すぐ成績を落とすとか、相手を甘やかしすぎるとか、納得しちゃうもん。
すこし前の彼女の話もして、そういう風にしちゃう男が悪い、と言われてしまえば、うーん、となる。
でも自分の子供だから、絶対本心からそう思っているわけじゃないんだろう。

おかあさんの雰囲気は、わたしの苦手な叔母さんのほうにちかい。
話を聞く限りは、音信不通になっていた小学校のときの親友のおかあさんに近いかなと思っていた。
彼女たちに共通するところは、離婚経験があって、いつも現状に満足できなくて、ひとりで子供を育ててきたという自負があって、でも結局その背景には実家の援助があって、だけど男勝りな自分を演じている情緒不安定な男好きというところ。
たくさんあるな(笑)
気をつけよう。そう長くない人生経験でも、わたしが彼女たちに好かれないのはわかってる。
というか、わたしのような(それなりにできのよろしい。もちろん皮肉だ)娘がいる同年代のわたしの母親を目の敵にするので、わたしまで邪険にされるのです。
そんで黙ってればいいのに黙っていられないわたしもわるい。おとなになりたい。

恋愛ご法度の家庭だという。笑ってしまった。
フィアンセがいて、その人と結婚していれば料理をする必要もなかっただなんて、ドラマの中の出来事だろう。
でも彼女はほんとうに好きになった人と一緒になって、子供ももうけた。そしてまた、恋をしている。
だからわたしたちのことを、真っ向から否定することはできない。味方はいたほうがいい。
彼女は好きな人ができたと姉に言ったとき「不良なのね」と言われたと言う。
馬鹿じゃないかな!いろいろ馬鹿げていた。
あの家庭で育ったにしては、彼はいたってまともだ。お金のにおいがしない。
いきなりドライブに連れて行かれて、実家を見せられて、お兄さんに紹介されて、笑わないでいられるほうがおかしい。
自分の家を恥じるというのがどういうことかはよくわからなかったけれど、実際に目の当たりにすると、やっぱりつらいものがある。
実家は200坪をゆうに超えているとか。彼のおじいさんが、一代で築き上げた財産。
こんなに大きな家があるのよ、という自慢か牽制か。どちらでもいい。そんなものに興味はない。わたしが興味があるのは彼だけだ。
それに、あまりきれいなお金ではない感じがした。そういう嗅覚、ないわけじゃない。
まあきれいなお金のにおいがぷんぷんするおうち(家庭教師先)の中2の一人娘も、めっちゃくちゃな食事マナーだったので何がいいとかわるいとかはわからないけれど(音立てて食べるし。左手机の下だし)。
家の中からおじいさんの怒鳴り声が聞こえた。彼女は守ってくれた(今回は会わずに済んだ)。それだけでも、感謝している。
お兄さんはただのヤンキーでした。これも笑った。彼と正反対。つまり、まったくわたしの好みではない。あれでは次男に重荷がかかるのもわかる。
前日、お兄さんにすべて話して、すごく怒られたといっていたから、不安だったのに、ただの虚勢だった。ああいう人は、こわがらず、目をまっすぐに見て、にこりと笑っていればいい。

帰りは彼の運転で帰宅。そんな感じの3人のドライブでした。
これが第一関門に過ぎないことも、それを通過できたわけでもないということも(とりあえず潜り抜けただけだ)きちんとわかっている。
うちの両親もきっと、彼の実家についていい顔はしないだろう。あの人たちはわたしにすべてを託してくれているけれど、わたしがしあわせにならないことは望まない。
別に彼に父親がいないだとかそんなことはこのご時勢めずらしいことでもなんでもない。
でも、わたしはきっと、彼と結婚して家族になって、あの家族と戸籍上のつながりを持って、そうなったとき、いわゆる普通のしあわせを手に入れられない。
そうおもうと、すごくかなしい。いまをたのしんでいきたい。かなしい。
後期で広大に受かったとき、彼は号泣したという。
落ちたら勘当されるといわれていたから。
でもそれは嬉し泣きなのかな、どうなのかな。
解放されないという、かなしみの涙であるような気もする。所詮推量にすぎない。
みんな、自分の子どもや孫が可愛くて仕方ないのだ。それが過保護につながる。
ああ、母方のめんどくさい祖母とは話が合うかも知れないなぁ。
いまの時代、家柄とかどうでもいいと思いたいけど、そうじゃないんだ。
父方の血縁もいますこしごたついているので、血ということについて考える機会がおおい。
みんなしあわせになれたらいいのに。ただそれだけなのに。
なんでこんなにむずかしいんだろう。