空白

そこに描き出すしかないのだもの。

あなたがここにいたら

日々雑感
 
永遠と刹那ということについて、
ぼんやりとかんがえている
ゆるやかな現実逃避
 
後輩たちのブログを読んで、
去年のじぶんのこと、つまり
記憶や思い出を呼び起こして、
そこにあるのは愛しさばかりで
なんだか泣きそうになった
 
それでも泣かないのは泣けないのは、
私が一年という時間をたしかにすごしてきた
その結果の進化、というか変化なのだろう
 
永遠を願った日々が
永遠を信じていた(信じたかった)日々が
私の中にはたしかにある
 
でもいまは、いつか終わる刹那を繰り返す
そのとなりにいてくれるだけで
それだけでいい
じぶんの傲慢さや、わがままさ
そういうことは知っているつもり
その中で、それでも手を伸ばすというのは
解かれる痛みを覚悟して行わなければならないことだと
教えてくれた、愛しい愛しい日々
 
「今がずっと続けばいいのになぁ」
そうおもう「い」の瞬間と「なぁ」の瞬間は
もう、細胞単位ですっかり別物なわけである
なぜ私たちが「今」を求めるかと言えば
それが決して手に入れられないものだとわかっているからだ
なぜ私たちが「今」を大切にしたいかと言えば
それが必ず失われてしまうものだと知っているからだ
 
怖がらなくていいんだよ
変わることを、変わらないことを
「その時」にしかわからないことが
世界には、想像以上にたくさんある
 
たった1年やそれくらい、長く生きただけで
何をえらそうに、っておもわれるのかもしれない
だけど、すこしでも伝えたいとおもう
ことばは不完全な存在だけれど
伝えようという気持ちを失ってしまっては
すべてが終わってしまうのだとおもう
 
いまでもときどき、心が迷子になることはあるよ
そんなとき指針になるのは
通り過ぎてきた、「今まで」なのだ
「今」がとくべつなのは言うまでもない
でも「今」をつくりあげるのは「今まで」で
「今まで」のためには「今」は終わらなくちゃいけない
 
私たちはそうやって生きてきたし、
これからもそうやって
不様に、不器用に、美しく
生きていくのだろう