明日晴れるかな
過ぎたこと、を、思い出してしまった
過去を否定することは、すなわち自分自身の否定だと思うし、しないけれど、過去は過去だとも、思っているので、珍しいことだ
竹を割ったよう、と表現されるこの性格は好きだけれどもね
あの頃のことは、正直なところ、鮮明には覚えていない
忘れたい、ことなのかもしれない
どちらにも非がないので、困る
あたしは、厳格ではないが割と躾の厳しい家庭で育てられたらしく、そのことに気付いたのは結構最近のことで、当時の幼かったあたしは、あの人の我儘さも自己中心さも優柔不断さも要領の悪さも我慢ならなかった
顔を合わせたくないのは、生理的に受け付けないからだけでなく、自分の幼さを彼女の中に見てしまうから、でもある
終わったことだと、流すことは用意なのにできないでいるのは、あたしの稚拙さゆえ以外の何者でもないのだ
生理的な嫌悪感は今もまだ、ある
世の中には、適材適所というすばらしい言葉があって、誰しもできること、できないことを持っている、と信じている
しかし、あたしはあの人の中にはそれを見つけられなくて、しかしあの人は「先輩」であった
かなり長い間あらゆる先輩という存在を蔑視していたという事実は拭い去れない
その傾向が完全になくなったとも言い切れない
それはとても悔しいことだ
生まれて初めて本気で、他人の理不尽さにだけ、攻撃性を向けた経験でもある
大概、憤怒だの嫌悪だのといった問題の根本は主観であり、だから、だいたいの場合においてあたしの攻撃性のベクトルは自分にばかり向くのだが、あのときは違った
しかし、あの人はあたしがなぜ泣いたのか、なんて理解していない
小爆発はあったが、ビッグバンが起きなかったのはあの人の鈍さのおかげだと今も思っている(理解されないアイロニー)
久しぶりに感傷的になってしまった
すべて、おわったこと