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空白

そこに描き出すしかないのだもの。

ただ願うんだ できるだけ遠くへ飛べ

唐突にめがねを購入。

説得力のないアイテムには定評があります。

いまはふわふわパーマだし明らかにサブカル女子。

 

9月、びっくりするくらい早く早く過ぎ去って行く。

本も全然読めてない。毎日どろどろになるくらい疲れている。

たいしたことをしているわけではないけれど仕事ばかりしている。

上司が変わったのでちょっと求められているものが変わっている感。

しんどい〜もうだめだ〜ってくらいがんばったあとにしか成長は現れないのだ。

どえむだ。

からだが悲鳴を上げていたので2ヶ月ぶりに整体。身長がのびた気がする。

拘縮してしまっていたんだな。

 

久しぶりにブログをかこうとおもった理由。

きのう、1ヶ月ぶりくらいにやろうとして全然できなかった。

コンビニで買い物をしている段階で、ああわたしは全然食べたくなんかないんだな、とはおもっていて、実際にそうで半分くらいしか詰め込めず、まあ吐き出すのは簡単であったのだけれど。

もういいや、とおもったのだ。

その感覚はすごく正しい、とおもう。

高校に入る前くらいからだったから、約10年か。

長かったな。

そのお金があったら、ちょっといいお店でランチを食べた方がしあわせだ。

その時間があったら、半身浴でもしていよう。

やせたい、という気持ちはある。

というか、やせねば、という体型だし。

ただ、やり方なのだ。

昨日の絶望はちょっとした衝撃だった。

ほかにも書きたいことはある気がするけれど、アウトプットばかりでしんどいから、やめとこう。

 

おやすみなさい。

新たな鼓動の律動を知るために

秋の足音が聞こえる。

知らぬ間に夏が立ち去ってゆく。

 

中高生のころ、夏はしんどくくるしい季節だった。

だからこそ、得られるものも大きく、多少なりとも得られるその「手応え」を頼りにしていた。

大学生や社会人と呼ばれるものになると、自分で自分に課題設定をしなければならなくて、与えられない、ということは、案外わたしを蝕むようだ。

どうしてもひとりで過ごす時間が長いので、ついつい立ち止まってしまう。

するべきこと、がそれを妨げていてくれたのがいまならわかる、のに。

おはよう、って言えないから、どれだけ眠ればいいのかわからない。

おいしいね、って言えないから、どれだけ食べればいいのかわからない。

そんな当たり前のことの前で立ちすくむ自分がとても恥ずかしい。

忙しくしていれば、概ねだいじょうぶ。からだの記憶に従えばいい。

でも、そうじゃないときは?

読んだり聴いたり泳いだり、おもいつくかぎりの自分を引き止める行為は行ってみたりしているのだけど、あんまりうまくいっていないかんじだ。

話し相手がほしい。この土地に、ともだち、はいないからなあ。

 

先月末に友人の結婚式に参加したのもあって、結婚願望がとても高まっている。

きのう酔っぱらった恋人に「内縁の妻を名乗ればいい!それだけの覚悟がないんだろう!」みたいなことを言われて、お酒の上での言葉を正面から受け止める必要もないのだけれど、覚悟が足りない、それはまったくもってその通りなのだ。

彼が学生だろうと、双方の両親の同意が得られなかろうと、わたしと彼の人生なのだから、ふたりの意志がおなじであるならば、どのタイミングで籍をいれようとかまわないわけだ。実際、彼はそういってくれているわけだ。

でも、いまのわたしにはそれができない。

なんでだろう。ちゃんとすき、なのになあ。

母親から、結婚は家同士でするものよ、と言われて育って、それが呪縛のように染み付いているのは間違いない、かな。

わたしが岡山に戻るタイミングが勝負所だとおもってはいるのだけど。

いまいる自治体が2年後に市制施行100年を迎えるので、ステップアップのためにもそこを体験したい気持ちはとてもある。

だから、会えない期間を、いかにわたしが安定して過ごすか、が課題なのだ。

どんな醜態を見せても去らないでいてくれているので、それはほんとうに感謝しなくちゃ。

いままでのひとたちにはいつもどこか、遠慮があって、というか勝手に「相手が思っているであろうわたし」像を形成し背伸びや無理をしてほころびが生じるというパターンがおおかったのだけど、いまの恋人についていうならば、申し訳ないくらいに素で接している。

 

ていねいに、生きよう。ていねいに、働こう。

あせらない。むりはしない。でも、きちんと。

 

言い聞かせないとできないというのはなんとも情けないお話だけれど、なんどでも、思い出してみせるよ。生き直してみせるよ。

見つめるだけで悲しいことなど忘れそうになる

昨日は彼氏の誕生日でした。

先月はわたしが行ったので今月は来てくれる。

岡山行くのはいいんだけれど彼の家はユニットバスなのと、台所が狭いのと、車がとめられないのでささやかにストレスが積もってしまう。。。

先週は3日しか働かないのに、あまり調子がよくなくて、昼過ぎまで寝て、家中に掃除機をかけて、洗濯機を2回まわす。生まれ直すための作業。

彼は午前中は講義で、わたしも経験があるのだけれど教室の冷房がつよくて体調をくずしてしまったらしい。

前日、晩ご飯何が食べたい?ときいたら、ゆっくり食べたい、と言われたので、久しぶりにちょっと本気出して料理した。

豚しゃぶしたい、と言われたのに、実家では豚しゃぶ=冷しゃぶなので、うっかり用意してしまったのが功を奏した(普通のお鍋のは、しゃぶしゃぶっていう)。

冷しゃぶサラダ、茶碗蒸し、あさりのお味噌汁。

クックパッド先生に教わってつくった茶碗蒸しがとても好評でうれしい。

基本的に2人して味が濃いものがあまりすきでないので、家でつくるほうがけっきょく満足できたりする(でもそれは、わたしの精神状態に依るところがおおきくて申し訳ない)。

しかも腰痛、腹痛でなやんでいたところに、ルルドのクッションをプレゼントしたので、結果としてすごく空気を読んだかんじに。

もうすぐつきあって2年になるけれど、基本的にわたしが依存する関係性であったので、わたしが(これでも)だいぶだいじょうぶになってきたので、具合がわるい中でも会いにきてくれるというそれだけでぎゅうって満たされてしまうので問題ない。

一緒に22時半に寝たら、4時や6時に目が覚めてしまう。

でもわたしはつきあい始めたときから、彼の背中や腕を愛でて止まないので(つきあいだした頃に、どこがすきなの?と訊ねられ 背骨かな〜と応じてばくしょうされたときから、それは揺るがないのであった)、愛でながら2度寝。

まいにち実験や授業のため、5時や6時に起きているのを知っているので、1週間ぶん眠ってほしいのです。

となりにこのひとがいる、という、安心感。信頼感。

 

ときどき、一緒にいった場所を振り返る。

送ったプレゼント、もらったプレゼントを数える。

しあわせな思い出を反芻して、しあわせなきもちになる。

わたしはあまり変われている気はしないので、おおきな諍いも起きないのは、彼の性格のおかげがおおきいのはたしかだ。

その中でも、 奇天烈大百科なことをやらかさないというのはおおくの割合を占めるのかな、とこの前考えた。

びっくりするのがとてもにがてなので、じぶんの常識の範疇をこえることをされると、途端にこんらんしてしまう。

じゅびりーは こんらんした! ってかんじ。

それがこじれてこんがらがって、トラウマみたいになってしまっていたのだけど、そういうのがぜんぜんなくなってきたなあ。

まだまだお互いのことでいっぱいいっぱいだけれど、これからも一緒に過ごせるといい。

とりあえずとても上手にお誕生日を過ごせたので、とても満足しています。しあわせ!

冷たいナイフと暖かい果実

おもったより日が空いてしまった。

書こう、書きたい、書かなきゃという意識はあるのだけれど。

その意識さえなくなってしまったらもうだめだ。

書く仕事をしている。

でも、それはわたしの言葉ではあるけれど、わたしの言葉ではない。

わたしの言葉の紡ぎ方を、忘れてしまわぬために。

それが日の目を見ることは、おそらくないのだけれど、自己満足あるいは自己陶酔。

 

ここ3週間はたぶん、わりとぼちぼち働いていた。

平日の、勤務日について特に言うべきことはない。

ルーティンを淡々とこなすこと。

楽しみながら、ミスを出さず、力をつける。

それがいまのわたしにするべきことだから。

 

先々週岡山に帰った時、ひさしぶりに高校時代の親友に会った。

元気そうでなにより。

言葉のテンポが慣れ親しんでいる。

 

実は先週の金曜から夏休みをいただいて、絶賛5連休だった。

でもあまりにとうとつだったので、いつもはこういうとき予定をぎゅうぎゅうにしてしまうのだけど、時期的に中途半端だったのもあって、基本的に家族サービスで過ごした。

母親とは気が合う、というか、舌が合うので、いろいろなところに食事に行くだけでもたのしい。母親の味付けによってわたしの舌がつくられているから、当然だと言えば当然なのだけど。

金曜は、雨宮塔子のエッセイに触発されて福山のフレンチレストランでランチ。

カジュアルなんだけれど、とっても手のかけられたサラダに、お肉のメイン、それはもう!天国のようにおいしかった。

デザートは気になっていたお店のシュークリーム(1個130円)をほおばる。

そのあとお風呂に行って、わたしは仕事関係の女子会(少なくとも、わざわざ社の垣根を越えなければ女子会が成立しない環境にあるというべきか、社の垣根さえ越えればできる環境にあるというべきか)。

土曜は、高知観光!ひろめ市場で鰹やらうつぼやらを食べる。おいしい。

ここは行かねばなるまいということで桂浜。

わたし全然日本のことも知らないな〜とおもったので、いろんなところに行こう、って決めたの。

日曜は、岡山のわりとランチで有名なお店。ここはわたしはあんまり好みじゃなくて、高校の大先輩で常連さんをしているひととかも知ってるんだけれど、おかあさんの料理のほうがおいしいじゃん、ちょっとめんどくさいけど、自分でつくれないこともないかな、って感じで。感動がなかったな。

そのあと岩盤浴にいった。わたしいつもはあまり長居できないんだけれど、この日はしっかり汗もかけてたくさんデトックスできた。最近飲んでる体質改善のサプリメントがきいているのであればいい。

昨日は、弟と一日おでかけ。携帯ショップってどうしてこうも待たされるのかしら。お昼は、だいすきなオムライス屋さん。わたしはここの、薄焼き卵の、シンプルなケチャップのオムライスがほんとうにおいしいオムライスだとおもっている。

なぜかそのあと弟と3時間カラオケ…。ブラコン…。

今日は、倉敷のアウトレットでひとりで買い物して帰ってきた。

仕事用のかばんを新調。今まで買い物すると、いろんなお店を見て回るとかできなかったんだけど(めんどくさくなって即決してあとから後悔するパターン)最近母親や恋人とお買い物の訓練を繰り返すことによってかなり成長している!えらい!

恋人の誕生日プレゼントにルルドのマッサージクッション買ったら思いのほか大きくて重たかった…。

福山に帰ったらもう出かけないぞ!とおもっていたのだけれど、実家に化粧ポーチを忘れる体たらく!baka!

とりあえずなきゃ困るものを買って、ついでに食料品とかも結局買えたので、まあいいか。

 

いきなりじめじめと蒸し暑い。

心をしゃん!としたい。

僕がいるこの場所は少し窮屈だけれど

梅雨入り。

しとしととした雨の音はわりとすき。

 

先週はひさしぶりにしんどかったー。

火曜日の早朝(午前4時)に呼び出され、そのまま6連勤。

単純に体力で負けてしまう。

その前の土日も、中高の友達と熊本の黒川温泉に旅行に行っていて、それ自体はとっても楽しかったのだけれど、土曜は5時半、日曜も朝風呂したくて7時半には起きていて、結局先週は全然起きられなくて水〜金曜日は8時半くらいに起床。

でも夜はなかなか寝付けなくて、食べるほうのバランスもがったがたに崩れてしまって、食べないか食べ過ぎて吐くかで、肌がぼろぼろに。

正直な精神と身体だ。

土曜は8時から取材のだめ押しまできたのだけど、昨日の夜、3月の引っ越し直後以来初めて彼氏が泊まりにきてくれた。

今月で交際を始めて1年8ヶ月だったのだった。去年一時期半同棲みたいなことをしていたときは、慣れてしまって、あまり大切にできていなかった、ような気がする。

でもこうやって会って、となりにいることで、こんなに安心できるひとって、いない。ふしぎだ。

仕事が終わる21時まで待ってもらってから駅で合流して焼肉。

ずっと食べたかったのだ。

最近彼は晩ご飯をあまり食べない生活を送っているらしく、いつもよりは全然少ない量、タンと、ホルモンと、カルビと、ハラミを、それぞれ一人前ずつ2人で食べる。

家に帰って晩酌。キャベツのおつまみと、わたしのすきな銘柄のチーズを持ってきてくれていて、よくできた彼氏だまったく。

今朝は一緒にサッカーを見て、たまごごはんとお味噌汁のごはんを食べて、おなじおふとんにくるまって、動物園に行って、モスバーガーを食べた。

だいたい食べてばかりいるけれど、今日の夜はひとりになっても1週間ぶりくらいに過食しないで済んだ。すごい。

客観的にみてぜんぜんイケメンではないし(おなじくわたしもまったくもって美女ではない)、どこがどうすきとかとくべつとかもうよくわからないけれど、となりにいるということ、それによって酸素がうすくならないということ、それが不思議で仕方ない。

この前ともだちのブログで、(すごくざっくり言うと)彼氏と事件になってそこで関係性を見直した〜、っていうの読んで触発されたのもあってちゃんと書いてみた。

わたしは確か高校生くらいから、食べることに問題があって、遺伝的にもすごく太りやすいし、食べることをストレスのはけ口にしてしまいがちなのだけど太るのはいやで、その結果吐くことを覚えてしまったりとか、大学生からは不安感に駆られて、切ったりなんてしないのだけど自分の腕にかみつく癖だとかがあって、それらの原因はおそらく問いただせば家庭環境にあるのだろうけれど、母親にとってわたしはそういうことのない唯一の存在でなければならないのでシークレットで、ただ今の彼氏はそれらを笑い飛ばしてくれるか、付き合い初めの段階でかなり厳しく叱ってくれたり、早朝覚醒過呼吸になったりしているとちゃんと抱きしめてくれてり、すごいなあと思う。

理系だからかな?根本的に賢いのだろうな。

わたしはこのひとに愛されているし、わたしはこのひとを愛している。

そのびっくりするような安心感。透明感。

だから一緒にいるんだよ。離れたくないな。

たいせつにしなくちゃ。

音楽がたりないな、ほしいな、っておもうの。

空っぽになって転げ回る遠く淡い模様

腰が痛い。
泣き喚きたいような不安定さがずっと続いている。

評価されるために働いているわけではないけれど、マイナスな評価を与えられるいわれはないはずなの。
それなりにプライド持ってるよ。
実力がともなわないというのは、かなしい。
えらくならねば。

母親とは共依存関係だとおもっているけれど、弟とコミュニケーションとるのにわたしを経由するのが当たり前になってるの、いい加減にして欲しい。
2人で完結してくれないかな、どちらがわるいとかではなく、双方に責任はある。

わたしに関心がないのではないかという疑い。
優しいことはもうじゅうぶん、知ってる。
ボランティアかな?
そんなふうに勘繰ってしまうじぶんがいやだ。
会えないことと、移動のわずらわしさの、どちらをとるかといえば、まあ、後者なんだけど、わたしばっかり行き過ぎだとおもう。ぶつぶつ。
惰性と甘え。
わたしのこと、そんなに大事じゃないんでしょう。
あ、だめだ、いろんなものを諦めて、じぶんでも、もう次へのエネルギーがないよ、とか言っときながら、改めて文字にしてみたら、涙が出るほどかなしかった。
すき、なんだよなあ。

水族館にいきたいな。
あるいは、ライブ。
あいされたいよ。
ひとりはいやだ、こわい、さみしい。
大人になった、はずなんだけどなあ。

たとえばゆるい幸せがだらっと続いたとする

涙がとてもちかいところでつっかえているかんじがする。

かなしいことがあったわけではない。

絶望するのはいつだって簡単だ。

 

先週ちょっとしたミスを連発して、信頼関係でやっていかなければいけない職場で、信頼と甘えを履き違えてしまってべこべことへこむ。

地面にめり込みそうだ。

そこをなんとか持ちこたえて、昨日は大学と高校の友達に会ってきた。

あんまりものを考えない。それがいいのかわるいのか、考える間もなくいい加減になる。

働いていたってわたしはそこまで真摯になにかに向き合っているわけではなく、でもそれなりに神経は使っているわけで(1年間で、思ったことをそのまま口に出さなくなったと言われた、成長だ)ただ、人の話を聴く仕事なので、人といてぼんやりしているということがあまり許されない。

さみしがりやなので、人とはいたい。

でも、すべてをゆるされたい、という、傲慢。

書くことはありがたいことにいまも何の苦もない行為なので、聴けさえすれば、わたしの仕事は5割終わる。

残りの3割で写真を撮り、さらに残りの2割で原稿を書く。割合でいうとそんなかんじ。

デジタル一眼のEOS7Dは1年間連れ添ったけれど、笑ってごまかして実は使いこなせていないので、もっと仲良くなりたい。

そんなことは、まあ、いいや。

 

足りないものについて考える。

 

恋人と、ちょっとだけ遠距離。

去年半年くらい、半同棲だったけれど、今会えるのは多くて月に2回くらい。

しかも向こうはもうしばらく学生。

それぞれのフィールドで戦うときなのだとわかってはいる。

それでも、さみしさ、こぼれる。

今度は一緒に水族館に、行きたいな。

 

バスクラリネット

ずっとずっと渇望していて、でももう、取り戻しても、思ったようには奏でられないんじゃないか、うつくしい思い出で残している方がしあわせなんじゃないかって、いろいろ考える。

考えたって仕方ないから、コンサート、ライブ、音の渦、溺れたいな、とおもう。

同時に、木低の子に会いたくて仕方ない。

わたしのたいせつなひとたち。

いまのわたしの血肉となっている時間。

 

紙に文字を書くという行為。

読む方は、こっちに来てから、だいじょうぶ。足りてる。

ただ、こうやって打ち込むように、書く、ということ。

一昨年までは日記を書いていたけれど、去年の途中でやめちゃった。

仕事でも書いて、SNSでも書いて。

それでも足りないのかって。足りないの、病気だから。

とりあえず書くという行為が、とても、すきなのだ。

でも、相手が必要だから、むずかしい。

手紙をすきな友達を何人か、思い浮かべる。

住所、訊ねてみようかな。

 

心地よい風が吹く、季節だ。

できれば泣かずに、過ごしたい。