昨日よりも深い場所で君と出逢いたい
ちかくの図書館が、わりにCDも充実していて、ミスチルなんかも置いてあるので、借りてきて聴いてはその音楽のもつ密度と熱量にあらためて気づかされ、ながく一線で活動するアーティストにはそれなりの理由があるのだなあなんて当たり前のことをおもったり、する。
今日から3連休。福山に異動してきてはじめての、ほんとうにからっぽの休日。
明日はいくつかの用事を済ませに、岡山に帰るつもりだけれど。
昨日の夜いつも通り、日付が変わるくらいに眠って、1度9時過ぎに起きて母親と電話をして、枕元に置いてあった本を読んで、二度寝したら、なんと目覚めたのが15時半であった。寝過ぎだろう。
この1ヶ月はかなりいろいろなことがあったので、1年間働き、1つ1つの出来事に対し、激しく消耗するということはなくなったものの(1つ1つの出来事に対する思い入れや感性が鈍ってしまったのだとしたら、それはすこしかなしいことのような気もするが、生きていくためには、それが必要なのだ)、澱のような疲労として蓄積していたのだろう。
溜め込んでいたものを弛緩したようなかんじ。元気じゃなかったわけじゃないけれど、かなり健やかになった気がする。
2月末。父親が事故をして、3週間程度の入院、2ヶ月の休職に入る。
3月頭。異動。異動2日目でけっこう大きめの事故が管轄の市内で発生し、比較的忙殺される。中旬には地震まであったりする。
3月末。祖父が体調を崩す。弟が人身事故を起こす。恋人と尾道に旅行に行く。管轄の市内で5年前の殺人事件の犯人が逮捕される。
4月頭。祖父が亡くなる。母方のおばが死亡事故を起こす。
こうして記述してみるとやっぱりけっこうハードだったな。
この仕事をしていなければ関係のないものも多くあるけれど、この仕事をしている限り仕方がない。
わたしでさえかなり参っていたのに、母親の心労やいかばかりか。倒れなければいいのだけど。
そんなこともあって、最近よく母親と連絡を取り合っているのだけど、やはり母親と娘っていうのは特別なんだなあってつよく感じる。
おいしいものを食べに連れて行ってあげたい。
その割には精神的には安定しているので、明日からは岡山に帰っていつもわたしの愚痴を聞いたりしてくれている恋人くんにおもいっきり尽くす予定!うまくできるかは、わからないけれど。
まあ安定しているわりに食事をうまくできない周期が長いこと続いているのだけど、これはわたしの悪い癖のようなものなので、そのうち落ち着くだろう、と流れに身を任せている。そこまで深刻なものでもなく、死ぬ訳じゃないし。
ユニクロのフレンチリネン100%の プレミアムリネンシャツ:NEWS TOPICS - UNIQLO
ひじょうに好みです。アイロンがきれいにかかるのも気分がいい。
値段も手頃なので、各カラーそろえて昨年購入したリネンのジャケットに合わせて春から夏にかけてヘビーユーズしたい。
仕事柄オフィスカジュアル的な服装を求められ、そうなるとナイロンとかアクリルとかの化繊素材の服も多くなってしまうのだけど、綿や麻の服を着るとやっぱり安心する。
しわになりやすかったり縮みやすかったりはするけれど、手間がかかる分愛着もわくし、丈夫だし。
明日は新しい革靴も見にゆこう。
春は出会いと別れの季節なのだから、。
雨は空から落ちて すべてを濡らしていった
3月も終わりゆく。
環境の変化というのがどうも苦手だ。
感情のコントロールがいつにも増してうまくいかなくなる、。
ずっととなりにいてくれた人とすこし離れてしまったので、その距離のぶんだけ、呼吸がしづらくなる。
福山は、わるくない。
それなりにほめられたり怒られたりしながら、それなりにたのしく過ごしている。
ただ、わたしの愛する街ではないのだということ。
愛するひとたちとちょっとだけ離れた場所なのだということ。
その土地で暮らすひとたちの営みがあるかぎり、わたしのおしごとは存在するし、その土地を愛さずして、できるお仕事ではないともおもう。
おしごとだから、と割り切れる部分はおおくある。
ただ、仕事以外で人と話す機会はほとんどないので、それはさみしい。
普通の社会人ってこういうものなのかなあ。
去年の6月に1人暮らしを再開してから、半同棲みたいな状態がつづいていたのでちょっとよく、わかんないや。
それでも隔週で会ってくれていて、2人で過ごしたあとの1人のごはんの寂寞というか寂寥がすごくてびっくりする。
今週末は近場に1泊するというぜいたくな旅行をして楽しんでしまった。
以前おつきあいをしていた人と旅行に行っておだやかにすごせた試しがないので、いまだに驚いてしまう。
なんだかんだ言いながら1年半の交際で、コンスタントに半年に1度は1泊程度の旅行に行けているのですばらしい。
昨年はわたしの卒業旅行だったので2泊3日でディズニーというスペシャルコースだったけれど。
昨年の1月に祖母が亡くなり、今月後半から、祖父の容態がよくないという。
ああだこうだと理由をつけながら、彼らは、お互いがお互いを必要としてやまないのだろう。
いつかは来るものだとわかってはいても、愛着のある、鳥取という土地の、変えるべき場所がなくなってしまう別れはさみしいな。
1日1日、すこしずつちいさな覚悟をする。
母方の家庭は仲がいいので、三姉妹で、正しい量だけ傷ついて、正しい道程で立ち直るだろうと、あまり心配しないことにする。
あまりに唐突だけれど、そう遠くないことだと、知っていたような気もするのだ。
どうか正夢 君と会えたら
明日の午後引っ越しです。
まったく!準備が!進まない!
やるべきことをやらないのはよくないよ(ホリーガーデンの芹沢さん)という精神で生きているのだけども、逆算した結果、なんとかなるだろう、に落ち着いてしまっているので、だめだめですね。
とりあえずこのあとお金の精算する。
それが済んだらようやく荷造り。
ここ最近休みの前の日は飲み会→恋人宅→一緒に朝起きて送り出してタクシーで帰宅、という生活が続いていて、しっかり寝坊できなかったので、ここでやっと慢性的な寝不足を解消できたようだ。たぶん。
その前の土日連休は大雪で外出できず、それは構わないのだけど、数年ぶりに発熱する風邪をひいてしぬかとおもいました。完全にお休みを棒に振りもったいないことをした!
恋人氏には献身的な介護をしてもらい、最終的にはうつすという…。それ以来の連休…。
そんな感じでぼんやりとしんどいのが続いていたので、そこを抜け出すところから始まりました…だめだめだ…。
昨日も結局14時〜16時までは家でお仕事していたりして、人生そんなものだ。
でもデスクからの原稿の手直しがだいぶ減ったのでそれは成長。
再取材することとかはほとんどなくなったものな。
新居は築浅で部屋数も増え、キッチンもリビングスペースも広くなるので、それらのことを楽しみに引っ越しがんばります。
ベッドは間に合わないようだ。
昨日ようやく電子レンジ、冷蔵庫、洗濯機という三種の神器は手配しました。
今は家具家電付きに済んでいるので。
環境が変わるのが苦手で、ここ2週間は周囲にも指摘されるくらい仕事に身が入っておらず、これまただめだめでした…ごあいさつももっとちゃんとしたかったのに…。
というか残留する若手は逆算できない人ばかりなので、大丈夫なのか?とちょっと心配。
いなくなるので、いいのだけど。
新しい部署は期待値の低さが売りなので、のびのびと働きたい。
遅ればせながら、中山七里の「さよならドビュッシー」シリーズを読んでいる。
今まで量を読む方だったので。図書館で借りて読んで、繰り返し読みたいと思えば購入、としていて、あまり本を買って失敗するということは経験がなかったのだけど、これはなんというか…。
期待値を上げすぎていたつもりはないのだけど、読んで残るものが薄い。
それに加えて、時折挟まれる名古屋弁?や、暑苦しい先達のダイアローグが非常に耳につく。
こういった作品づくりを目指すなら、もっと洗練されていてほしかった。
東野圭吾、海堂尊らと並列で語られるが、このシリーズは彼らに比べていわゆるライトノベルの傾向が強いように思う。
図書館で借りて読んで、一読して返却するだけならなんの問題もなかったのだろうが、繰り返し読みたいような熱量にあふれてはいないので、ちょっと残念。
既刊の「いつまでもショパン」までは購入済みなので、読み終えたら手放してしまいそうだ。
今度住むところは大きな図書館が自転車で行きやすそうなところにあったので、図書館ライフを再会したい。
忘れかけた 本当は忘れたくない 君の名をなぞる
異動が決まった。
3月1日付で、福山へ配属。出たり入ったりだ。
懸念していた通りになってしまって、くやしいしかなしいしさみしいけれど、こればかりは仕方がない。
いまいる部署はしんどい、大変だと言われるけれどやっぱり花形で、そこでもっと巧くなりたかった。息も絶え絶えに生きてゆきたかった。
内示のとき、部長に「かかっちゃったね」と声をかけてもらえたことを支えにがんばる。出したくないと思ってもらえる人間であったのだと。考え過ぎだとしても。
この9ヶ月、もっとがんばれた部分もあって、それができなかったのはわたしの弱さで甘さだ。
でもその時間が、その後悔がこれからの力になる。
まだまだやりたい、まだまだやれる、まだまだやれた。
この仕事を好きだ。そう思える仕事につけたということを誇り続けるということ。
今度の部署は敵も味方もすくない。自分で自分をどれだけ律せられるか。
のびのびと呼吸しよう。おおきくなって、つよくなって、帰ってこよう。
この人と働きたい、この人みたいになりたい、最初の職場がそう言える人たちに出会える職場でよかった。もちろん、反面教師もたくさんいるけれど。
わりあい予感のようなものもあって、心の準備もしていたので衝撃自体は小さかったのだが、それでも同性の1つ上の先輩に「遠距離になっちゃうね」と声をかけてもらった途端、涙が溢れ出てきて自分でもドン引いた。
恋人はいたって合理的で冷静なひとなので、あらかじめ何度か話していて、「会えなければ10キロも1000キロも一緒だよ」と言ってくれて、「大丈夫だよ」と言ってくれるので信じ続けるしかない。
これからの3年は、きっと2人とも、それから先を決定づける3年になるから。
それぞれのフィールドでがんばろう。支え合いながら。
それにしても、2日連続で高校の同級生から結婚の報告を受けてびっくりだ。
もうそんな時期なのだと驚く一方、わたしはこんな状況で、恋人はもうしばらく学生なので、我々にはもう少し縁遠い出来事なのだった。
引っ越しの準備を進めないと。
新車がやってきた。非常に可愛い子ちゃんなので、テンションあがる。
大事に乗ろう。
いいこととわるいことは表裏一体。どの角度から見るかのちがいだけ。
いつだって独りじゃないのだよ。
そう自らに言い聞かせ、気を抜けば萎えてしまいそうな、砕けてしまいそうな何かを鼓舞するのだった。
なんと涙ぐましい努力!
息を吸って 生命を食べて
頭の中で、なぜかAKGの「新世紀のラブソング」が鳴り止まなかったので、イヤホンを装着して、今冬すこし奮発して買ったリーガルのブーツを履いてぐんぐん歩く。
約1時間、往復4キロ。
オレンジ色のガーベラを連れて帰る。先週買ったスイートピーは見た目の通り、渡してくれた店員の女性のように、繊細であった。
いつもの花屋さんは元気なおじさん。花も丈夫だ。
高校3年の入院時に記録した最高体重に肉薄しつつあるので、意識的に運動しようと小さく決意する。
食べる量は大して変わっていない(と思う)ので、たぶん純粋な運動不足。車に乗るようになるとだめだな。
遺伝子的にも気を抜くとすぐ太ってしまう。いやだなあ。
前回の関連。
会社の人と「本を読むということ」について話をしていて、職業柄、「活字中毒」を標榜するひとはおおい。
しかしわたしの場合、生きるということにはつねに読むという行為が付随しているというか包含されているので、わざわざ「わたしは本を読みます」アピールをしますというのは「わたしは酸素を二酸化炭素に変換します」というようなことなので、あまり言わない。
昨年までは平均して年に100冊は読んでいたので、ブクログ(http://booklog.jp/users/coppelia)を遡って昨年は50冊しか読めていないことを恥ずかしく思っていたら、その先輩が「普通、月1冊と言われているもんだよ」とおっしゃっていたのですごく驚いた。
よほどの才能を持たないかぎり、読んできた以上のものは書けないというのは真理であるとおもう。
それは表現力や構成力といった観点ももちろんあるが、基本的な「語彙」という点でにおいて「読むということ」によって補われる部分は多い。
芸術はおそらくすべからくそうなのだ。聴いてきた以上のものは奏でられないし、観てきた以上のものは演じられない。
あるべき名詞が、助詞が、動詞が、あるべき場所にある文章はうつくしい。
その場所はひとつではないが、その場所への接近を試み続けることがわたしの誠実さであるとおもっている、勝手に。
前回の関連その2(どうでもいいこと)。
車を買うことにしてから、いろんな車の表情が気になるようになった。
車のフロントやリアは顔に例えられることが往々にしてあるが、今度わたしが乗ることになる車はインターネット上で「情けないパグ」と書かれていてなるほどその通りとわらってしまう。
ムーミン谷の仲間たちがコマーシャルしているとおり、なるほど立派なジト目なのだ。
ちなみにこの子のOEM車はかわいらしい子犬のようにわたしには見える。
いま乗っているワゴンRもとてもイケメンだとおもっている。
ヘッドライトのかたちや角度が与える印象はその車を買う・乗るということにおいておそらく重要で、スズキの車がすきなのはこの印象が好みであるということに因る部分が大きい。
というか見た目くらいしか判断する材料にできないので、見た目くらい好みの車がいいです。それだけ。
また1週間がんばろう。
乾いて 結んで 揺らして 離した
積読本が溜まっている。
図書館のヘビーユーザーだったのと、時間はあるけどお金はないタイプだったのでこういうのは初めて。
本を買うという習慣があまりなかったので、本を売るという習慣もあまりない。
今年は去年よりは読みたい。多分過去最高に読めてない。
今月は平日のお休みが多め。
すこし暇なタイミングのようで、当社比はやく帰れてしまい、かえって持て余している。
恫喝するヤクザみたいな上司が1人いて、その人のために月曜日から働くモチベーションが削がれてしまった。
責任を転嫁する生き方、人によって態度を変える生き方はうつくしくないし不誠実だと思うのだけど、正しさだけでは生きていけないのだなあ。
車を買ってしまった。
今までの愛車は銀色ワゴンRちゃんだったのだけど、来月頭にピンクのMRワゴンをお迎えする。
別に車にこだわりは持っていなくて、運転は好きだけど得意ではなく、大きい車は運転するのも維持するのも難しそうなので、軽乗用車がいいなー程度に考えていた。
ただ、エンブレム(というかメーカー)には多少こだわりがあって、第一候補がスズキかスバル、以下順不同でホンダか日産だったので、安心と信頼のスズキの軽が納得の価格で購入できたのはよかった。
なんだかんだで楽しみ。
引っ越しがしたい。
どっちの家に帰る?という生活は、さみしい。
彼の家は駐車場がなく暖房の効きがわるく水回りが不便で、わたしの家は合鍵が作れない上、ロフトベッドが不便で台所も狭い。
どちらも完全な拠点にしてしまうには不足が多い。
なによりわたしの異動がいつあるかわからないので、2LDKに引っ越してしまうにはまだまだリスキーなのだよなあ。うーん。さらりーまん。
急に大人になど、なれないのだ。
一度きりの魔球を投げ抜く
今年の目標は、注意深く生きること。
初売りでかわいいコートが安く買えたのでうれしい!