空白

そこに描き出すしかないのだもの。

繋いでいたいよ 君の声が聞こえた日から

社会人、と呼ばれる立場になって、もうしばらくたつけれど、わたしは全然まだまだ子どもで、女で、無力さの前に立ち尽くして呆然と電話をかけてしまうことがある。

ただわたしは、守られることになんの抵抗もないので、その生き方を、とくに同世代の同性の同業種に好まないひとがいるということは重々承知で、それでもこうして、頼れて守れて信頼できる大人の男性が職場に何人かいることはほんとうに恵まれているとおもう。

 

昨日の社会面デスク、今日の全県デスクが信頼を置いているひとでほんとによかったなって、まさか法事にいく予定だった日に、東京の警察から電話がかかってくるだなんて夢にも思わないから、それをすばらしいタイミングで、すばらしい人が電話をくれたことで、ずいぶんと救われた。

ほんとうのことを話せるひとがいたことで、ちょっと楽になれた。

この役回りはきっと、親とか恋人とかじゃだめだった。

そしてお前が一番信頼されてるんだなって言ってもらえてがんばれた。

 

 ここからがたいへん。

わたしのおしごとはここまで。

あとは君次第、だよ。

 

 

誰の体もいつかはなくなって永遠はないのだろう

入社してもうすぐ半年。

思っていた、想像していた、覚悟していた以上に過酷だ。

じぶんの未熟さ、無能力を嘆く日々。

1年かけて元気になったつもりでいたんだけどなあ。

すぐに弱くなってしまって、情けない。

結局一番避けたかった部署になってしまい、

実家から車で20分くらいのところに一人暮らししています。

だいたい8時-22時で働いている。

遅いときは日をまたぐことも。

夜間の呼び出しも。

今日なんかはお泊まり。

一生出来るかな、なんてことを考える余裕すら、まだない。

こんなときいつも考えるのは、バスクラを吹きたいな、ということ。

取材で学校を訪れることが何度かあって、その都度そこに流れる時間に、ぎゅっと心臓をつかまれたようになってしまう。

あまりに圧倒的な、幸福な、あの6年間。

そのときいつも、隣にいてくれたバスクラリネット

才能なんてかけらもないけれど、手放せずにいたもの。

あふれる。こぼれる。

また日常として吹ける日は、いつかなあ。

先週の土日はそんなお仕事の合間をぬって(非常に重たい社用PCを彼氏に搬送させて非常に申し訳なかった)アジカン10周年ファン感謝祭に行ってきました。

すごくよかった!

でも久しぶりに長い時間2人で外で過ごした割にはコンサート以外はなにもできなくて、ホテルもちょっとグレードが低いのにしちゃっていたので不完全燃焼な感じが残ってしまったのが残念。

いつ死んでもおかしくないくらい弱っていたので、岡山に帰ってきてからぐずぐず泣いてしまった。

週の後半にもなると帰りの車の中で号泣してしまったりするくらいには、まだお仕事に慣れていないです。

ほんとうに慣れる気があるのか、というところは別にして。

あと家族のことでも、気持ちがすっきりしないことを7月以来ずっと抱えていなくちゃいけなくて、それもあってしんどいのかもしれない。

なんというか自分のことを客観視できないのだ。

余裕がない、というのはよくわかっている。

ただ何がつらいとか苦しいとかそういうのはあんまりなくて、いやだなあって思うことはあるけれど、会社の先輩はみんなすごく優しいので、何をどうしてほしいとかわからないし、何がどうなれば解決するとかもさっぱり見えてこない。

ただ目の前の日々をこなすことに必死。

毎日を生きるということ、毎日働くということがこんなに大変だとは。

乱れきった食生活のためか肌荒れがひどいので皮膚科にいきたいです。

社内でカウンセリングっぽいことは3回くらい受けてるけれどそれによってらくになったりしてるかとかも、ちょっとよくわからない。

とりあえず、音楽がほしい。活字がほしい。

時々迷ってもまた歩き出す

連投。

22年も生きていると、「二度と会えない」とおもう人がいる。

「二度と会わない」と決める人がいる。

傷ついて傷つけてそうやってしか生きてこられなくて、

そのときはそうやってしかその時間を切り抜けられなかった。

そのときたしかに欲していた、欲していたものは与えられたかもしれない。

ただそれは本来手にしてはならないものであったのかもしれない。

もしくは、本来欲していたものと違うものであったのかもしれない。

そう、単なるわたしの傲慢。

あまりに完全な姿をしたあまりに不完全な欲求。

それらを手渡してくれた彼らにたとえ再び会えたとしてもそのときのわたしはわたしではない。

わたしから意識的に意識を切り離したわたしだ。

痛みや疼きをかんじないように、

泣いてしまわないように、

叫びだしてしまわぬように、

感情の暴発を防ぐように。

あの日の色を匂いを思い出してしまわぬように。

そういった記憶に、あまりに甘やかに触れてくれるものだから。

かつてわたしは記憶の上書きというのはなんて難しいのだろうと思っていた、

それがいまではどうだ。深層の傷が癒えたわけではないだろうが、

ぱっくりと裂けた場所に新しく美しい肉が盛り上がる。

愛されている。

愛している。

その安定感と信頼感。

求めるものはなにもない。

あの何によっても満たされなかった枯渇が嘘のようだ。

失えないとおもう。

こわくなってしまう。

よわくなってしまう。

ふたりで訪れるひとつひとつの場所が、

ふたりで口にするひとつひとつのものが、

ふたりで共有するひとつひとつの時間が。

そう、いつか誰かが言った、これは、救済なのだと。

終わりなんてなければいいのにね。

行く先は誰にも知らされてないから

おひさしぶりです。

おおむね元気です。

入社1ヶ月で物損事故(自分の過失100パーセント)をやらかしました。

所属がはっきりしないというのは、「何か」が起きてしまったときに、とても難しい。

誰に報告するか。誰に連絡するか。誰に相談するか。

そのような「何か」に関しては、そもそも、引き起こさないことが肝要なのだけど、もし万一、引き起こしてしまったときの対応。

このタイミングで、こんな失敗をして、たくさん叱ってもらって、そのまた対応を、自分ですることができるのは、かけがえのない経験だ。

やっぱり落ち込むし悔しいし自分が情けなくてしょうがないけれど、次また同じようなことがあったとき、きっと、絶対、今よりうまくやるし、後輩が同じようなことに遇ったとき、きちんと寄り添える。

仕事はたのしい。その気持ちに偽りはない。それは恐らくとても恵まれていることだ。

気が緩んでいた、なんてことはないつもりだけれど、それでも態度の端々に、怠慢や油断のようなものが滲み出ていたのだろう、そういうことに関しても今回は考え直す、立ち止まる契機になった。

このまま進んでしまっていたら、取り返しのつかないところに行ってしまっていたかもしれない。

開き直りとしてではなく、学ぶべきものとして、今回の経験をとらえようと思います。

明日配属先の内示が出ます。

行き先によっては一人暮らしを強いられるようなのだけど(住居手当はでない)、遠距離通学歴が長過ぎてちょっとくらい移動に時間かかるのは特に苦にならないので、できればしたくない。

家事に割く時間の負担も含めて。

朝早くて夜遅いお仕事とはいえ、中高も7時前に家を出て20時過ぎて帰宅するとかいつものことだったし、極端な話、大学のオーケストラ時代なんかは午前3時に帰宅して午前6時からバイトに行って授業に出て練習してっていうサイクルだったわけです。体調崩したけど。

それが好きなことをして、その上お金までもらえてできるのだから、なんというかそれくらいがんばれると思ってしまうのは、やっぱり甘いのかな、甘いんだろうな。

人に恵まれています。

先輩も上司も、ほんとうにすごいひとたちです。

純粋にそう思える人たちに囲まれて過ごせる僥倖に感謝しながら日々を生き抜く。

皮肉だけど憎んで さよならありがと

大学を卒業、しました。
ここには当然、中学高校を巣立ったときのわたしの軌跡(と書くとなんて大げさななのだろう)が残っているのだけども、そこに比してあまりの温度の低さにびっくりする。
逆説的に空隙あるいは空虚というかたちでしかこの4年間は主張をしてこない。

1年。
失恋の傷を引きずったまま、過去最高体重を記録したまま新しい土を踏む。
あんなに愛した吹奏楽を、バスクラリネットをうっかりと手放してしまって、そのかわりに構えた楽器は、わたしのことを愛してはくれなかった。それはわたしが真摯に向き合わなかったせいだと今ならわかる。
すこし話して気が合った人と手をつなぎデートをして、結局それから3年ちかく。
たくさん泣いたし怒ったし、でも彼がいなければ立っていられない日が何度もあった。

2年。
サークルの人間関係で計り知れなく病んで、夏休みには国外逃亡を図る。
そこで目にしたのは憧れや理想としてではなく、実践と現実としての教育の姿で、それは当然のことなのだけどわたしはせめて、そこに縋りたかった。
精神的にも身体的にもぼろぼろになりながら、12月の定期演奏会を乗り切る。授業のあと教授の部屋で嗚咽をあげて泣くなんて、尋常じゃない。
シューベルトの8番を平常心で聴くことは二度とできないんだろう。
年明けは実家でしっかり休養したものの、自己免疫が不全を起こして2・3月は療養にあてる。

3年。
もうこれ以上ここにはいられないという身体の声に甘えてサークルをやめる。
おつきあいにも区切りをつけたつもりが、うまくつけれていなかった。
ここですべての悪い流れを一旦、切り捨てたかった。
精神も身体も、こんなに脆い生き物では、わたしはなかったはずだ。
悪いものをすべて、断ち切りたかった。
でもこれは逃げただけなのだ、投げ捨てただけなのだという自責の念は、やはりわたしを時折不健全に、不安にさせて、ぞくぞくと苛む。それはいまもすこし残ってしまっているけれど、だいぶ自分の中で折り合いをつけることができるようになったとおもう、ようやく。
夏には東京に旅行に行ったり、スーパーのアルバイトを増やしたり、自動車の運転免許をとったりする。
本来そのために入った大学なのだからと、この1年はようやく、やりたかったことをできた気がする。というかこの1年だけはほんとうにきちんと哲学と、倫理学と、学問と向き合えた。

4年。
3年過ごした西条を出て、岡山の実家に戻り、就活。
今度こそ、すべて西条にぽうい、ってしてしまった。
あっさりと(というわけではほんとうはないのだけれど傍目に見れば)、しゅうしょくかつどう、は終わる。忘れたふりをしてごまかしていたら夢の方から寄ってきてくれたのだ。なんという僥倖だろう。
鮮やかな言葉が温度を持つと、それが伴う湿度と自己陶酔に耐えることができなくなってしまった。そんなときでも救ってくれる人が現れて、めぐまれている、とおもう。
夏休みは越後トリエンナーレでボランティア。芸術はいつだって軽々と様々なものを飛び越えてみせるものだからずるい。
その後は卒論とアルバイトをひたすら並行して行なって、そんな中でも中学校の同窓会や母校の吹奏楽部定演に奏者として乗ったり、3月はふらふら旅行に出かけたり、欲張りに過ごして、ああ、わたしは、わたしだった、のだなって。

マルチというと聞こえはいいのだけれど、要するに欲張りなのだ。
なにかひとつが軸になってしまうのは、それがぽっきりと折れてしまったときのことを考えるとこわくて仕方がない。
周囲の理解や協力がなくしては、そういうふうに生きていくことってできないのだけど、中高6年はわりと平然とそれが罷り通る環境にいたので、甘んじていた。
なにひとつやり遂げたと胸を張れない時間を過ごして、まったく西条という土地も愛せなくて、それでもそこでの出会いが時間が経験が、今後のわたしの血肉となる。
卒業の日、笑える程度にはきちんとこの4年をわたしは生きて、いた。
苦い後悔がこころを満たすけれど、この苦さは、教訓としてわたしが飲み干さなければならないものなのだ。忘れてはならないものなのだ。

中学からの付き合いの人たちといると、ついつい楽で、同じ速度で考えて、同じ歩幅で歩いてしまう。でもそれはごくごく限られたコミュニティにすぎない。
世界はもっともっと、ひろい。それが知れただけでも、この4年間を外で、ここで、過ごせてよかった。

だけどやっぱりこの楽に呼吸できる繋がりは手放せないなあ。
久しぶりに実家ぐらしの理不尽にどっぷりと浸かっています。
週に1度半日くらいの逢瀬くらいおおめに見てほしい。

不安で泣いた君も、それアンダースタンド

「アンダースタンド」、AKGでいちばんすきな曲。おそらく。
その次がマーチングバンド。
理解するというやさしさ。否定しないというあたたたかさ。
さいきん、数年ぶりにAKGばかり聴いている。明らかに、影響されている。

3月!
一応月1更新が最低限の目標なのでちょっとくやしい。2月は28日しかないからな。
昨日も書こうと思えば書けたのだけど、だいすきな友人とお出かけでひさしぶりに朝からフル稼働したら夜には頭がぐらぐらになるくらい眠くなってしまっていた。
体力がかなり落ちてるので、最近寝る前の腹筋と気づいた時のストレッチを生活の中に導入してみた。健やかな日々。

2月は、ひっどいPMSに悩まされているうちに終わったような…。
だめなときのわたしというのはほんとうにうっとうしい。彼氏さんも困らせてしまった。
前のわたしだったらそこでODや喫煙や食べることに逃げ込んでいたので(こう書くとわたしはほんとうにメンヘラであった、当時は否定していたけれどまったく否定することなどできないという事実からそっと視線を逸らす)、それに比べたら寝倒したり夜ごと追いかけてくる悪夢にうなされたり泣いたりなんていうのはかわいらしいものだ。
それでもサナギのように一週間から10日を過ごし無事孵化した。
10日までは演奏会に向けていっぱいいっぱいで、それが終わってからのこれだったので、そんなことしていれば2月というのはあっという間に終わってしまう。
それにしてもここまで不安定になったのは久しぶりだった。
2月はよくもわるくも過去の亡霊が元気すぎるよ。

あちこちに書きたいときに書きたい文章を書きなぐっているせいで、ここに書くべきことがどれなのかわからないし、何を書いて何を書いていないのかが次第に混乱する。
恋愛についてのお話はここにしか書いていないはずなので、それについて書いている比率が高い、はず。
あとは自分の隠したいこと、溢れてしまうけれど一般的には見せることをよしとされないようなこと。
最近はとりあえず、本を読んでばかりいます。
わたしはわりとこうして過ごせるのはこれで最後だなーと思ってたくさん会いたいのだけど、向こうが忙しそうで、こればかりは仕方がない。
でも明後日から卒業旅行で東京にゆく!ディズニーランド!ディズニーホテル!たのしみ!
泊まりがけの旅行ははじめてなので、喧嘩にならないといいな、ってやっぱりどきどきしてしまう。いままでのかんじだと大丈夫そうなのだけど。
当たり前が当たり前っていうのは、いいな、とおもう。
好きなひとのことをきちんと好きと思えて、言える、というのは、とてもしあわせだ。
異常性というのはその中にいると気付けないし、そしてそれは往々にしてなにかひとつに責任を帰着することなどできない。
ここ最近無性にあんなに会いたい。